私はどのように死んでゆくのだろう
私は心疾患の他に持病がいくつかあります。医療のサポートで生かされていますが、歳を重ね年々体が辛くなってきました。
特に今年のコロナ禍のストレスと猛暑は、体に大きなダメージを与え、寝込む日が多くなりました。
調子の悪い日は、音や光や全ての刺激が苦痛で、薄暗い部屋でじっと耐えるしかありません。
そんな時、私はどのように弱り,どのように死んでゆくのだろうと考えてしまいます。悲しくて怖くなります。
長生きしたいとは思いませんが、せめて死ぬ前に一日でいいから、何でも出来る元気な時間が欲しいと願ったりします。
体力の衰えに耐えながら人生の終盤を生きていくことは、修行のように思えてなりません。
残された人生を、少しでも心穏やかに過ごせるよう教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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死ぬことを考えるよりも楽しめることを
びわこさんのご心痛お察し申し上げます。
私と同じような年代かと存じますが、大変お辛い日々を過ごされていることに何にもお手伝いができない無力をお許しください。
私も昨年の今頃は、悪性リンパ腫となり抗がん剤治療を一定期間受けていました。今は、経過観察中でありますが、法務は通常通りこなしています。
びわこさんは、たくさんの病気を患っておられ、食事制限もあるとのことですが、楽しみはお孫さんの成長とのこと、分かります。私も同じですから。孫は可愛いですからね。
さてこれから日々をどのように過ごすかですが、まず人は寿命で亡くなるということ。そして、肉体のみが変化するのが死です。魂と意識(思い)は継続するということですから、常に考え方は前向きがいいのです。
病気と闘おうとすると、病気そのものにエネルギーを与えているようなものですから、戦おうとしないことです。たしかに、痛みがある時は我慢しなければなりませんが、我慢も限界がありますので、薬を使い、少しでも楽に過ごせることを考えてください。
ある若い医師の相談で、入院患者の方が痛みで寝れないので薬を投与して欲しいと訴えているのですが、薬を投与すると肉体の維持が短くなるので使えない。という質問でした。
私は、人は寿命でなくなるので、その心配より、今日、今、今夜、ぐっすり眠れるようにしてあげた方が、いいのでは。と答えました。
この答えが正しいのか間違っているのかは、それぞれでしょう。
びわこさんの肉体を治すことはできませんが、考え方を少しだけでも楽になるよう、そして、日々安穏に過ごせるようにと願い祈ります。
又、修行と思うことで耐えることができるなら、それもそうかもしれませんが、私たちは、修行のために生まれてきたのはなく、人生を楽しむために生まれたきた、様々な経験をするために生まれてきたと思います。
お辛い中かもしれませんが、今日まで頑張ってこられたのですから、もう頑張る必要はありません。それより、どうしたら、毎日楽しめるか、どのような状況であっても楽しめ、人を喜ばせ楽しませることは出来るかを考えてみませんか。
質問者からのお礼
鈴木海祥 様
早々とご回答いただきまして、ありがとうございました。
鈴木様も大変なご病気がありますのに、法務もハスノハのお仕事もこなされておられることに頭が下がります。尊敬いたします。
私もなるべく楽しいことを考えた方が良いとわかっているのですが、病気に負けてネガティブになってしまいます。ですが、おっしゃる通り、病気と闘おうとすると病気そのものにエネルギーを与えているようなものですね。
また、「肉体のみが変化するのが死です。魂と意識(思い)は継続するということですから、常に考え方は前向きがいいのです。」と言うお言葉が心に残りました。
ありがとうございます。小さな事でも喜びや楽しみが見出せるように、過ごしてみたいと思います。