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我慢しない人が羨ましい

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有り難し有り難し 22

「コロナの感染拡大防止の観点」から他県に行くこと、出かけること、大好きな遠方への旅行にいくことを我慢しています。
先日、高齢の家族と飲食店を経営している知人が数回東京へ遊びに行っているのを知りました。家族や従業員には言わずにコンサートに行っているようです。
その人とは仲が良かったのですが、家族やお店より自分の快楽を優先している人なんだなと思ってしまい、人の家庭のことは関係がないはずなのに軽蔑してしまいます。
その気持ちに気づいてから、私は、何で自粛してるのにまわりは遊んでいるのだろうと思い、いろんな人の意見を見てたら、自粛警察、価値観を押し付ける人間と思う方も一定数いると分かりました。
確かに私は自分の価値観を勝手に守るために勝手に我慢し、勝手に嫉妬して、勝手に軽蔑しています。
押し付けがましい人間なのかもしれません。だけどどうしても私は自分の人生の娯楽の全てと思っていた旅行に行けません。家族や職場に迷惑をかけたくない。でもこれは私の価値観でしかありません。
自分は我慢してるのに何で他の人はなんて思いたくありませんがどうしても思ってしまいます。
思い返せばコロナのことがある前から自分はできない・していないのに、あの人はできる・しているということを考えてしまうタイプで、常に自分が損している感覚があるし、こんなことばかり考えている自分は価値がないとも思ってしまいます。
仲の良いと思っている人にもこんなことばかり思ってしまってくるしいです。
どうしたら人を羨んだり、自分が勝手に我慢してるのに、我慢してない人を妬ましいと思わないで済むのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自らの身も心も清めて

拝読させて頂きました。
このコロナウイルス感染症の影響により大きく生活の仕方は変わりましたね。あなたのお気持ちもよくわかります。出かけたいけど出られないという状況の中でストレスもたまってしまいますよね。

このような感染症の流行は歴史的に見ても沢山あります。そんな中でやむを得ずに感染症にかかってしまって亡くならざるを得なかった方々は沢山いらっしゃいます。
今私は例えばお葬儀や重要な会議等以外はあまり外には出ませんので、お寺の過去帳整理をしていますと江戸時代でも、明治大正昭和にも沢山の方々が感染症によって亡くなられたことを見ることができます。1920年頃の過去帳ではスペイン風邪の大流行の影響なのか通常の年の何倍もの方々、しかも幼い子供達が亡くなっていることがわかりますし、その後のアジア太平洋戦争・第二次世界大戦の敗戦まじかの頃は過去帳に書ききれない方々が亡くなっているのです。
その事実をみて思いをはせると大変悲しい思いをしますし、やりきれない思いも致します。やはりそのような過去があったことを私たちは決して忘れてはならないでしょう。
そして私達一人一人はとても弱くはかない存在ではあったとしても、先ずは自分自身の生活や行動を自ら律していくことが大切かと思います。
コロナウイルス感染症の状況下では以前のスペイン風邪の大流行よりも状況は悪くはありません。正しい情報や予防方法を自ら身につけてできる限り先ずは自分自身予防していくことそして人にうつすような行動は慎むことが必要かと思います。お出かけする場合も人と密接にならないよう自ら心がけていくことです。

仮に自分が病になってしまっても落ち着いて医療機関の対応のもと治療していき、病になってしまった方にも対しても決して差別や偏見を持たずに適切に治療して頂くことを促していきましょう。

歴史が示すようにいずれこの感染症は私たちが正しい情報や治療方法や予防を実施していけば必ず終息していきます。

人のことをあれこれととやかく言う前に先ずは自らの身も心も清めて心穏やかに過ごしていきましょう。

あなたが心も身も清め毎日を安らかに生きていかれます様心よりお祈りさせて頂きます

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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違う価値観を認めて比べず尊べるといいと思います

コロナ禍で大好きな遠方への旅行にいくことを我慢しておられるとのこと。感染しないように努力されることは大切と思います。しかし、周りには気にせずに遠出される人もあり軽蔑されてしますのですね。それだけ、ごまだれさんが大好きな旅行を諦めて、頑張って自粛されているということではないでしょうか。しかし、長丁場になってきて段々我慢することが耐えられなくなっているのかも知れません。
旅行も行き当たりばったりの人もいますし、入念に知らべてスケジュールを立てて、その通りに行動される方もみえます。ごまだれさんはどちらのタイプですか。今は遠方への旅行が難しいですから、タイムテーブルで模擬旅行されたり、今度行ってみたい所のお店を検索したり、ご当地グルメを調べたりされてはどうでしょうか。異国の郷土料理もネットでレシピを調べたり、珍しい食材もお取り寄せ出来る時代ですから、作って楽しむことが出来ます。周りの人のことをあれこれ詮索するよりも、ご自分が楽しめることを、見つけられてはどうでしょうか。
人は、どうしても自分と他人を比べてしまいます。比べることで頑張れる事もありますが、劣等感に苛まれたり、優越感に浸ったりと、比較することは常に一喜一憂することのなり心は乱れるばかりです。
私たちは、比べなくても頑張らなくても、今 生きているそれだけで尊い存在です。人それぞれ出来ることも出来ないこともあります。「みんな違ってみんないい」これは金子みすゞさんの詩の一節です。皆それぞれにいい所も悪い所もある。それを認めて比べず尊べるといいと思います。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

お礼がおそくなり申し訳ありません。
いまだに同じことでモヤモヤとすることがありますが、自分の感情も認めつつ、比較しないように努めようと思います。
ありがとうございました。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

有り難し有り難し 12
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日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

有り難し有り難し 10
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日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

有り難し有り難し 15
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やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ