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生の強制を信奉できない

回答数回答 2
有り難し有り難し 22

以前自殺願望について何度も相談させて頂いたものです。何度もお手数をお掛けして申し訳ありませんが、またご相談の程宜しくお願いいたします。

私は、皆さんとの対話の末に何とか生きる目的を導き、少しずつ自らの存在と自身が存在する世界を祝福できるようになりました。ですが、自身の中で解決していない問題があります。
生の強制と自殺についてです。

私が知る限りでは、仏教は生と死という対立概念について中立の立場を取っています。生きようが死のうが問題ないような心構えを説かれているように思えるのです。私はこの考え方に大いに賛同しているのですが、その立場故に生存を無条件に強制する人たちに対して今でも強い忌避感を覚えてしまうことに悩んでいます。

私は、ハスノハ以外でも両親や友人、教授に自殺願望の悩みを打ち明けたのですが、その誰もに私に対して「死ぬな」という事を前提に説得されました。
私が、生活に不満はないがやることがなくなり、これ以上生命に執着したくないという事を打ち明けたとしても、その発想自体を幻想と一蹴され頑なに生を強制されました。

説得者の言葉からは、現実の私ではなく、説得者のイメージとしての私や、先程述べた死生観を見ているような見当違いを感じ、それ以来人を信頼できなくなっています。

断っておきますが、この方々が悪い人間とは思っていません。むしろ、自己の想像の範疇で私を助けようとしてくれる善人だと思います。しかし、それ故に彼らが生きるという事を無自覚に狂信している事実に深い断絶を感じます。この世のどんな渓谷よりも深い絶望的な断絶の向こう側に、ひとりぼっちで取り残されたような感じです。
私は、彼らのように生を肯定すること自体は問題ないと思っているのですが、生に取り憑かれ、挙句他者にそれを強制する傲慢さを拒絶せずにはいられません。

生きたいと決心した人が快く生き、死にたいと決心した人が悔いなく死ねる。そんな世のあり方を私は望んでいますが、この考え方に取り憑かれた私もまた傲慢なのでしょうか。
そもそも、仏教の教えを信じる時点で私は傲慢だったのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それって孤独ですよねえ。

それは孤独ですよね。

私は生きる意欲が湧くには、喜びがないとなと思います。

とっくりさんは喜びはなくて、意欲もわかないという感じですか?

ちょっとお話しませんか?

私はベースは何事も個人の自由を尊重したいとおもっています。

その上でいくつかお伝えできると思いました。

まず、仏教は律(りつ:戒律)のなかで、自殺がお釈迦さんによって禁止された話が出て参ります。

修行に前向きに生きるのが仏教ですから、自殺はダメなんです・・・。

それから、周囲のみなさんがあなたに死ぬなと思うこと、

それは傲慢なのではなくて、本能から来る死への拒絶感だと思います。

けっしてあなたを孤独にしたいのではありませんよ。

最後に、ここがご質問の核心なのかな?

「私が知る限りでは、仏教は生と死という対立概念について中立の立場を取っています。生きようが死のうが問題ないような心構えを説かれているように思えるのです。私はこの考え方に大いに賛同しているのです」

↑たしかにそうですが、目的が違うと意味が変わるのです。

つまり、仏教は、よりよく生きるために中立をとります。

対して、あなたは死にたい。。。

仏教の言うのは、よりよく「生きるため」に「生と死」に対してとらわれない、
すると返って生きれるということだと思うんです。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と言います。

恐怖に固まってしまうより、
もうどうにでもなれと開き直ったほうが、
窮地を生き残れたりするということですね。

あなたの目的は死へと向かいたいわけですから、
あなたは死に片寄り、
周囲は生に片寄っているということになると思うんですよ。

ですので、対立を生む。。。

でもだれもが持つ、生きたい気持ちは、

それがうまくいかない時、

自分の破壊=自殺に向かったりするものだと思うんです。

あなたはまたそういうのとは違うのかな?

私は生きたい気持ち、本能の裏返しなのかなと思いました。

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コンプライアンス上の問題もあるので

ハスノハ様のサイト運営上の、コンプライアンス上のルールもありますので、ハスノハ上では、回答僧が自殺を勧めるような発言をすることはできません。
ただ、私が浄土宗の僧侶として言えることは、自殺しても自殺しなくても、南無阿弥陀仏の念仏を称(とな)えていれば極楽浄土に往生できるということだけです。
なお、自殺者の9割は「うつ」などを患っているといわれます。
「うつ」などを治療すれば自殺願望が消える可能性もあるので、私は、自殺したいという人には、医療機関への相談をお勧めしています。
また、自殺の原因が「うつ」等であるなら、自殺も病死みたいなものではないかと私は思います。
ですから、自殺した人をことさらに責めたり「地獄に落ちる」と非難するのは道理にかなわないと考えます。
ただし、治療すれば死にたくなくなる可能性がある「病死」ならば、死ぬより前に治療を試みて欲しい。
これは、他の病人やケガ人に対しても同じですよね。
死にそうな人を見たら、まずは死なないように手当てしようとするのが「人情」かもしれませんね。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

返信ありがとうございます。
なんというか…その…自分の都合よく仏教の解釈を履き違えていたようで大変申し訳ないです。
一見中立の立場を取っていても、生を見据える皆さんと死を見据える自身では大きく本質が異なる事を自覚しました。

一つ誤解して欲しくないのは、今の自分は決して死にたいという腹づもりではないということです。
いずれ来る生命の終わりに対して少々過剰に向き合いすぎているだけです。
ただ、生きるのであれば相応の理由と覚悟を持って生きたいと思っているだけです。

他人や出来合いの言葉で私の生命の責任を負わせたくない。その一心で今後も心から生き続けることにします。
ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。

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