成功する意義を疑い始めてしまいました
私は元来失敗した時の事を考える人間でした
多くの事で失敗への不安を感じ、失敗するかもしれないから、失敗した場合のプランも用意しておく
それは私の不安を和らげてくれるもので、悪い事ではなかったと今でも思っています
ですが、最近になって成功した時の事を考えると、成功する意義がわからなくなってしまいました
9月28日からセンター試験の出願が開始されましたが、書類に必要事項を記入するのも気が重かった
大学に合格しても、大学の勉強に付いていけるのか、自分に一人暮らしできるのかという不安があります
それを乗り越えて卒業・就職できたとしても、その大学の卒業生として期待される仕事をこなせるのかという不安があります
一つの不安を乗り越えると、新たな不安が現れます
私より少し下の世代は、小学校から実用的な英語や論理的思考力を養うためにプログラミングなどの授業を受けるようです
もうじき多くの仕事をAIがこなせるようになるようです
今はそういった、様々な変化の時代だと思います
コロナウイルスの影響でこれまで誤魔化せていた様々な問題点が浮き彫りになり、行政の方々も無視できなくなって更に変化は加速するかもしれません
そんな先の読めない未来を思い浮かべて、果たして私の目指してきた成功が意味のあるものなのか、疑ってしまいました
失敗した時の対処をあらかじめ考える事で、私は失敗を乗り越えてきました
乗り越えられないような致命的な失敗は未だ経験したことがありませんが、変化の時代の中にいて、何がいつ致命的な失敗に繋がるのかもわかりません
私には、成功が致命的ではない失敗と同じ事のように感じてしまいます
失敗をポジティブに捉えるのではなく、成功をネガティブに捉えてしまうのです
目標の正しさを見失ってしまったような気がします
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【仏道】生死出ずべき道
"果たして私の目指してきた成功が意味のあるものなのか"
大変素晴らしい視点だと思います。お若いのに大したもんだ。
じつはキミの言う通りなんだ。
誰もが羨むような大成功こそ、じつは地獄の一丁目だったりする。
そもそも、生まれてきた事自体が大失敗なんだ。でも同時に、人の身として生まれてきた事は、この上ないビッグチャンスでもあるんだ。
君のいう「成功」は、言葉の中にしかありません。
おはようございます。ご質問、拝読いたしました。あなたのような思考は、私が同年代の時にはできなかった(しなかった、のではなく)と思い、上〜目線ではありますが感心しています。
客観的・主観的という言葉はご存じと思いますが、「成功」というのは主観的な言葉です。「共通試験で500点だった」のは客観的ですが、「それが成功だった」かは主観により増す。つまり「評価した人の数だけ評価結果がある」ものです。
もちろん、「失敗」だってそうです。目標の「正しさ」もね。
ここに至って、「大概の人は”恐らくこれでいいのだろう”という曖昧なものを想定して生きている」ことがお分かりになるかと思います。客観的な・絶対的な「成功」とか「幸せ」はなく、個々の思いの中にそれはあり、表現するときに言葉となって現れているだけです。
「目標の正しさ」が離れてしまったという不安というか浮遊感はあると思いますが、逆にそれがあなたの手中にあるということへの気づきでもあります。「取りあえず、今の自分は、これが大事だと思います」という射程の短い目標があれば、十分ではないかと思います。
そもそも人間以外の動物は、先の事など殆ど関知していないようですから、それを見習ってもよいのかも。
おまけ
論理的思考なんて…記号のお約束です。国語の劣化版だと私は捉えています。人間の思考がプログラムされ(予め定められたようにしか動かない)ていたら、嫌だなぁ。
質問者からのお礼
丁寧な回答ありがとうございます
少し遠くの事を考えていて、目の前の課題に焦点が合っていなかったのかもしれません
私にとっての「成功」、よく考えてみます
自分の中で優先順位を整理し、近くの目標に焦点を合わせて、まずそこを目指してみたいと思います