浄土真宗・僧になり法要や法話をしたい
はじめて質問させて頂きます。
私はお寺関係の血筋でもなく、付き合い?のあるお寺もありません。
福祉の相談関係の仕事をしており、身寄りもなく独り身で、お金も全くない、菩提寺もないかたを見送ることがあります。
そんな時、せめて私が僧侶なら小さいお葬式をあげて差し上げられるのに。と思うようになりました。
あと、現在新型コロナウイルスの関係で、福祉施設にお坊さんを呼ぶことができません。毎月みなさんとても楽しみにしており、他のことで喜んでもらおうと楽器の演奏など自分に出来ることをしますが、やっぱりお坊さんの話を聞きたい、みんなで正信偈を唱えたいようです。私が僧侶なら法話ができるのにと思うようになりました。
動機としてはハテナ?な点もあるかと思いますが、僧侶になりたいと思っています。アドバイスよろしくお願いいたします。
補足・現在、通信制の大学院で福祉を学んでおりますが、仏教の授業がひとつだけあります。その授業の時に、仏教にものすごくひかれまして、上記の思いが強くなりました。
「浄土真宗」と書かせていただいたのは、私が住んでいる地区では浄土真宗が1番多く信仰されているからです。私や主人は実家が天台宗のお寺にお墓がありますが、実家が県外でお寺との付き合い?もなく、乱暴な言い方ですがお墓があるだけといった感じです。実家の親たちもお墓参りに行くくらいで、信仰してるかどうかといえばそうではないといった状態です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一隅を照らす
なるほど。すばらしい志だと思いました。
動機としてはよくわかりましたが、いや待てよ、あなたがお坊さんになるためには、一度お仕事を辞める必要があるだろうし、お坊さんになるのに何年かかるかわかりませんが、お坊さんになった頃にはコロナは収まっているかもしれない。またコロナが収まっていなかったとしても、あなたはもう部外者なのでコロナでその施設に入れてもらえないのでは?
天台宗の開祖である最澄の言葉に「一隅を照らす」という言葉があります。
「それぞれの立場で精一杯努力する人はみんな、何者にも代えがたい大事な国の宝だ」という意味です。
あなたがいまやっている仕事はとても尊いものです。それを精一杯やることがあなたの今の役割だと思います。
ご自身が出来るところから
こんにちは、初めまして。
「福祉施設にお坊さんを呼ぶ」ことが定例化している、そんな環境で働いておられるのですね。「坊さんの話を聞きたい、みんなで正信偈を唱えたい」という方が多いようで、浄土真宗の盛んな石川県ならではという感慨を持ちました。
基本的に、あなたの志は良いものと思っておりますが、以下に何点か整理しながらお話します。
今、通信制で学んでおられるのですね。
「仏教にものすごくひかれ」というのは、誠に結構なことです。
ただ、あなたにとって現状は特に浄土真宗を信仰していないご様子です。つまり、仏教=浄土真宗に成っていないのですね。
私は、法話は僧侶でなくともできると思います。
ただ、それは浄土真宗の核である、南無阿彌陀佛についてどれほど深く追究しているかが問題になります。福祉施設の利用者さんが待ち望んでいるのは、やはり「正信偈」と関係した浄土真宗の法話であり、阿弥陀如来様のお話でしょう。僧侶になる、ということ以前に利用者さん達が何を楽しみに、何を喜んでいるのか、これを学ぶことが第一にあるべきだと思います。そして、人に責任を持って伝える限り、系統だった学びが不可欠です。
次に、「身寄りもなく独り身で、お金も全くない」ひとのために、「僧侶なら小さいお葬式をあげて差し上げられるのに」というその心意気は有り難いものです。ただ、僧侶は先に述べたような南無阿彌陀佛についての信仰が大前提です。また、南無阿彌陀佛を目の前にしてお勤めする意義がわからなければ、葬儀の内容そのものが問われます。加えて、僧侶になるためには所属寺がなければならず、ご希望ならばそこから始めるべきでしょう。
また、お葬式を一人で行うためには、住職、副住職であるという限定があります。所属寺の僧というだけでは正式には行なえません。
「福祉の相談関係の仕事」をしておいでのことでしたら、経済的理由等でお葬儀が出来ない人のための市の福祉葬があることはご存知でしょう。これは、正式な住職に依頼ができて、なおかつ市からの補助金が出るというものです。葬儀に関しては、こちらに依頼するほうがよろしいようにも思います。
いずれにせよ、仏教にご縁があって、浄土真宗にもさらなる御縁があれば何よりです。簡単にお答えまで。
素晴らしですね!
ご質問拝読いたしました。
素晴らしいと感じました。
お見送りをご自身でしたい!
とても共鳴、共感しました。
愚僧も福祉関係の仕事が長く、
いまでも障がい者施設に、
関わっています。
再度通信ながら大学福祉学部
に入りSW、PSWの資格を
取得しています。
愚僧も同じような経験があります。
ご存知のことと思いますが、
御供養される方がいない方は、
施設の関連する
お墓に埋葬されます。
施設に伺う折には、
必ずお仏間で合掌させて
いただきました。
最初は怪訝な顔をされますが、
坊主だと話すと、
ご理解いただけました。
あなたのお気持ちは
尊いと感じました。
直接ご連絡いただけたら、
方法についてお知らせいたします。
どうぞそのお気持ちを
大事になさいませ。
必ず叶います。
質問者からのお礼
釋様、光禪様、花山様、回答いただきありがとうございます。
1時間かけてそれぞれお礼文書いてましたが、エラーで消えてしまいました…。
御三方まとめてのお礼で大変失礼致します。
僧侶になるということに執着するあまり、視界が狭くなっていたように思います。何事も格好から入る癖がありまして。それより今は、仏教の学びを深めたいという思いを大事にしたいと思います。楽しいんです。
目の前の利用者様に対しては、自分の持てる専門性で最善の利益をまもっていきたいと思います。当たり前のことなんですけど、執着しすぎて中途半端にするところでした。…でも、仏教の学びは辞めません。楽しいんです。今の専門性に仏教の要素をちょい足ししたいです。やっぱり欲張りですね。
相談できる場所があるというのは素晴らしいです。hasunohaに感謝。皆様に感謝。