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思わせぶりな言動について

回答数回答 1
有り難し有り難し 26

先日、3年付き合った彼氏に浮気をされ別れました。
以前からそのような相談をしていた男友達がいました。
その人と2人で遊んだ際に、「そんな男なら早く別れた方がいいよ、そんな男やめて俺にして、俺なら悲しい思いはさせないよ」など言われました。
その際は、慰めてくれてるんだろうと思っていました。でも実際彼氏と別れて、いつも浮かぶのはその人が言ってくれた言葉でした。嘘でも、私の事を認めてくれた、支えてくれたのが嬉しかったんです。
後日その人に、その時のお礼とその人の事が好きだと正直に伝えました。しかし、その人に別れてすぐだし、付き合えないよ。と言われました。

私も、すぐ付き合う必要もないと思います。
だけど、あまりにもその答えがさっぱりしすぎていて、別れる前に散々、好きだと言ってくれたのは嘘だったのかと、心底ショックです。

その人の考えていることがわかりません。
やはり、都合のいい女、体目的なのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたが人からの承認や小さな愛ばかり求めていることが問題

実際はどうかは存じ上げませんが、その前に求める愛の形を変えたらどうでしょうか?
ちょっと褒められたり、おだてられたからって有頂天になって、すぐに相手の事を好きになるとか軽々しいようではダメです。
世の中自分を受け入れて欲しい人が沢山いますから、そこを突かれた詐欺にあったりしますよ。
これは恋愛に限らず、自分が満たされることを求めるのではなく、相手の人間性、相手の誠意、相手がどういう人間なのかをよく見極めてから行動することをお勧めします。
あ、キツイこと言われたからって、こいつの意見は嫌いだ、というのもペケです。
人によっては、本当にあなたのために言ってくれている人も居るからです。
その人も、あなたにそういう所を感じて、指摘してくれたのではないでしょうか。
そもそも、そっちと終わったからって、すぐ俺かよ?って話ですしね。(^<^)
周りの人の気持ちも考えられるようになるといいですね。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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