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亡き母に会えるのは

回答数回答 1
有り難し有り難し 41

相談になっていませんが、お邪魔してしまいました。
夏に母が亡くなり、つらい毎日です。
父も主人も、前に亡くなり、母と私いつも一緒でした。外から帰ると、こんな事があったよ。と、時間が経つのも忘れて話し込み、高齢でしたが、自分の事は自分でし、本を読んだり、
たまに息子(孫)も、連れて旅行に行きましたが、母も私も出不精なので、休みの日は、家でお喋りしていました。
息子達は、一人暮らしや、仕事で遅くなったりで、母がいなくなって、一人ぼっちになり、毎日つらくてたまりません。
よく、死別の悲しみには段階があると、書いてありますが、今、寂しさと、つらさに加えて、他の人へ対して、「どうして、こうしてくれないんだろう!」とか、「こうしてほしい!」とか、「こう言えばよかった!」と、普段の気にしいの恨み辛み事まで出たり、
集まりで、何人かの人達と会う時も、母の事をなぐさめては、くれるんですが、帰った後、精神的にしんどくなり、動悸を打ち、喪失感が大きくなり悲しくなります。(慰めてもらえなかったら、それは、それで、どうして誰も何も言ってくれないの?と思ってしまうと思いますが)

この精神的にしんどいのと、寂しいのと、恋しいのは、もうちょっとしたら、母が帰ってくるんだったら、我慢もできますが、いつまでも、このままだと思うと、あと何年我慢したら母に、会えるのかなあと考えてしまいます。

仕事は、週1〜2回行って、その間だけ気が紛れています。
今は、食事を作るのも、買ってきたお惣菜を食べるのも、家の事も、ほとんどできていません。
仏壇の前の母の遺影の前で、書き物をしたり、布団を持ってきて寝たり、少しの食事を取り、ずっとこの部屋にいます。
息子が、思いもしない優しい言葉を言ってくれただけでも、感動して泣いてしまう始末です。
少しずつ、前に進んで行けたらいいのですが。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

寂しいですね、でも大事な寂しさなのでしょうね

ご相談拝読しました。お母様のご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。

死別の悲しみはその人との関係が深ければ深いほど大きなものとなるのでしょう。今の状態は苦しいかもしれませんが、それもまたお母様との関係の深さからいただいたご縁であるのだと思います。

さて、亡きお母様にいつ会えるのか?とのことですが、今この時に出会い直していけるものだと感じます。

生前と同じように姿形や声や温もりを介して会うことは叶わずとも、亡き人自身の願いや、亡き人の願いを通して気づかされる仏様の大きな願いに出会うという形で再会があるのではないでしょうか。亡き人の存在が自分の心にはたらきかけるものとして感じられるというものです。

例えばですが、お母様が自分のことは自分でして、あとは本を読んだりあなたとおしゃべりを楽しんでいたように、あなたも同じように行動した時に「母はきっとこう言う気持ちで私と向き合っていたのだろう」と気づかされることもあるかもしれません。
あるいは、お母様のご命終の事実を通して仏様の教えに出会い、自分の生死を深く見つめるようになった時に、ただ寂しさや悲しみとしか捉えられなったものが、大きな願いにつつまれる温かさのようなものとなって感じられることもあるかもしれません。

お母様の喪失の気持ちは結局は他の人にはわからないでしょう。でもその他の人も、あなたにはわからない何かを抱えているのでしょう。

そのようなわからないものを抱えた者同士がお母様のことを通じて声を掛けあえるだけでも実は素敵なことだと思います。
人ですからその内容に正解や不正解の評価をしてしまうことは避けられませんが、評価以前のところで繋がっているものがあるのです。

一切はお母様のことがあって今感じられるあなたの世界です。無理やりそれを置いて前になんか進まなくてもよいのです。

お母様からの促し・はたらきかけを受けて、このまま共にいきましょう。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

ほんとうに、そうですね!
母が教えてくれたんだ。母が気づかせてくれんたんだ。と、いうように思えることが、いろいろあります。

それに母の事を、同じ様に悲しんで、励ましてくれたり、いろんな人と話す事に寄って、こういう風に、母の事を思ってくれててんだ。と、わかったり、今まで、ほとんど話してなかった人と、話すようになって繋がりができているのも、母のおかげだと思うと、人がどうの、誰がどうした。なんて思ったりする自分が、恥ずかしいです。
母の事以外でも、昔から、人の事が気になったり、たまに悪く考えたりしてしまうとこがあるので、余計な事を考えず人の厚意を素直に受けて感謝をしていくように心がけます。
そうしたら、もっと、私も気持ちも明るくなり、人から受けた厚意や、自分も他の人の為にできたら、毎日母に報告します。
じゃないと、娘が悪い様に、悪い様に、考えてるのも、母には見えていて、悲しみますね。

ほんとうに、ありがとうございました。

吉武様の他の方への回答で、他の人に何かを求めた時点で、それは仏教の本来から外れている。と、外道のお話をされていましたが、外道をもっと調べてみようと思います。

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