亡くなった場所へ行けば会えるでしょうか?
もうすぐ娘の一周忌が来ます。
去年のあの日、私はのほほんと過ごしていました。
のんきに過ごしていたあの時間に、娘は電車の前に立ちました。
一周忌の日、同じ時間、同じ場所、同じ電車、そこへ行けば、娘の姿を見られるでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
瞬間ごとに新しい
私たちは、瞬間瞬間に浮かんでは消えています。
瞬間ごとに新しい「私」。
その場所に行っても、もはや痕跡は無いと思います。
娘さんは、すでに新しい生きものに転生(生まれかわり)して、新しい生活をされています。
また、昨日の私と今日の私は別の物体、別の人間。ただ記憶データを受け継いでいるから「同一人物」だと錯覚しているだけなのです。
だから、亡くなった娘さんのお母さんだった「わたし」と今日の「わたし」も実は別人なのです。
過去の記憶データのために今日のあなたが「今」を楽しめないのは、残念なのです。
未来への不安や不満のために「今」をリラックスできないのも残念なのです。
なぜか、ご家族みなさんの「文化」なのでしょうか、過去や未来に心が旅をしてしまい、気分が晴れないような日々になりやすい考え方が続いているのかもしれませんね。
自殺者の9割は「うつ」だという専門家がいます。自殺は病死、自殺願望は医療機関に相談すべき症状です。
最近、鬱病になりやすくするウイルスが発見されました。
まさに心の風邪ですね。
娘さんも、心の風邪が悪化して病死してしまっただけで、特に根性がなかったとかではないと思いますよ。
ただし、ストレスで鬱病リスクが高まるので、ストレスを感じやすいものの考え方(過去や未来に心が囚われたりする)については、ご家族みなさん改善された方が、快適に暮らせると思います。
南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えて、阿弥陀様の力で娘さんの生まれかわりが幸せになれるように願いましょう。
合掌 南無阿弥陀仏
お話しいたいですよね。
林檎さんの過去のご質問も読ませて頂きました。
ご家族のことも含め、大変な日々を送られてきたとお察し申し上げます。
さて、ご質問の件ですが、林檎さんがそうされたいなら、そうされればいいと思います。ただし、娘さんに遭えることとは別のことです。
この世に誕生してきて、夫婦になり親子になることは、偶然でもなく偶々でもなく、とても深い意味があり、そして苦しい事も楽しい事も、すべて出来事として体験しています。いや、体験させられている。さらに言い換えれば経験したい。ということです。
それは、どんなに理不尽で辛い事もです。でも、その経験をする中で、自分は何を理解するのかが今回の人生の課題でもあるのです。
何故生まれてくるのか。そのためにとも言えます。
娘さんは、自ら人生を終えましたが、でも、それは肉体だけのことであり、魂も意識も継続中です。そのような意味で遭えるかどうかは別と言いました。
直接、お話は出来ないかもしれませんが、思いは通じています。
林檎さんの今回の人生は、とてもハードなものですが、それゆえ多くのことも体験されています。すべての事に意味があるとなれば、少しだけでも捉え方を変えていきませんか。
質問者からのお礼
鈴木海祥さま
ありがとうございます。
お返事を読んであらためて私の人生がハードなんだと気づかされました。ハードなんですか…。
>その経験をする中で、自分は何を理解するのかが今回の人生の課題でもあるのです
苦しい課題です。
今すぐにでも消えてしまいたいですし、もう二度と生まれ変わりたくないのが今の正直な気持ちです。
ただ、今は、下の子が社会人になるまでは生きていようと思います。
その先は分かりません。
>捉え方を変えてみる
月日が経てば何かが見えてこればいいのですが、まだ何も考えられません。
お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。
もうすぐ命日だと思うととにかく全てから逃げ出したくて、お礼も遅くなりました。
ごめんなさい。
願誉浄史さま
お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。
お返事、ありがとうございました。
>瞬間ごとに新しい「私」
そういう考え方があるのですね。
過去や未来に縛られない考え方と捉えてよろしいのでしょうか。
でも今はどうしても過去に縛られてしまいます。
この考え方が変わる日が来るのでしょうか。
頭の中に入れておきます。
ありがとうございました。