自身の過去、妻の過去が許せない
はじめまして。どうか知恵をお借りしたく、乱文ではありますが相談させていただきます。
自分は現在、男女の友情は成り立たないと言う考えですが、昔はその真逆で、男女の友情は必ず成立すると本気で思っており、当時お付き合いしていた現在の妻にも、男性と遊ぶ事を許していました。
結果、妻は女性と交友関係(肉体関係無し)のある自分に見切りをつけ、昔に浮気(肉体関係有り)をしました。
そこに納得いっていないにも関わらず、自分は寛大な男を演出し、妻と結婚しました。
しかし結婚し子を授かり、惰性で生きていた数年後のある日、自身の考えが全て間違っていたことに気づく事ができ、このような人間に、人生と言う時間を捧げてくれた妻に感謝するようになったのもつかの間。日が経つにつれ、過去の妻の浮気(最後の一線)に全く納得がいかず、妻に打ち明け、一方的に夫婦の営みを完全に遮断しました。
非常に自分勝手ですが、気持ち悪くなってしまいました。(妻も当時は自分に思っていたと思います)
現在
妻は「もう一度私を女性として見てほしい」「もう二度としないと誓う」と勇気を持って言いにきてくれました。
おそらく、これだけでも、かなり勇気のいる事だと思います。
しかし自分は「よその男の女にしか見えない」と一喝し暴言を吐き、現在は別居もしくは離婚の話に発展しています。
当時、寛大な嘘の男を演出し、無責任に結婚に踏み切った自分を何より許せず、何の罪もない子供にも本当に申し訳なく、人生と言う時間を自分に費やしてくれた妻にも申し訳なさでいっぱいで、
父親として、男性として、人間として、
もう取り返しのつかない所に立っていると思います。
過去をいくら考えても変える事ができないのは理解しております。
自分のしてきた行いは、全て自分に跳ね返ってくる事も理解しております。
どうするかは最終、自分次第と言うことも
理解しております。
それでも前に進めない程、悔しく、苦しくなり、自分でも、どうする事が正解なのか、わからなくなります。
人としては好きでも、女性として好きではなくなった場合、それぞれ他の道を模索したほうが良いのでしょうか。
再び自身が見えなくなっているようにも思えてきており、怖いです。
過去の自分に納得がいかず、自暴自棄。 妻の過去の浮気を、言葉で攻撃してしまい、 妻を傷つけてしまう。 男性としての自信が取り戻せない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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事後法ではなく
こんにちは、初めまして。
一読した感想で、私の脳裏に浮かんだのは事後法という言葉です。
事後法とは、過去当時では違法ではなかった行為を、後から違法として処罰することを定める法令のことです。この事後法の禁止は近代刑法の原則であり、法治国家である限りこのような法の適用は厳に戒められています。現在でも、香港、韓国等でこの事後法により問題が起きています。
なぜ、問題なのかと言えば、それは後で法を定める立場になったものが自分の好きなようにルールを敷いて、過去の人・出来事を自由に裁くことが出来るからです。
歴史書の中には、前王朝を批判して悪者にし、自らの王朝の正統性を主張して、勝者の歴史を殊更誇張する書き方があるそうです。
過去、交際していた彼女(今の奥さん)に「当時お付き合いしていた現在の妻にも、男性と遊ぶ事を許していました」、とあります。これが当時の法、ルールです。
「妻は女性と交友関係(肉体関係無し)のある自分に見切りをつけ、昔に浮気(肉体関係有り)をしました」、とあります。あなたは、「交友関係(肉体関係無し)」と書いていますが、奥さんから見て「交友関係」があっても「肉体関係無し」という見分けはつくのでしょうか。自分は「交友関係(肉体関係無し)」だけど、奥さんは「浮気(肉体関係有り)」という区別自体、あなたの一方的な視点ではありませんか。
「寛大な嘘の男を演出し、無責任に結婚に踏み切った」、あなたの結婚の決断は全くもってあなたの意思による責任です。奥さんの責任ではありません。結婚当時、奥さんを許して結婚した、その事実を今からまたひっくり返すのですか。
「過去をいくら考えても変える事ができないのは理解」と書いています。
過去は変えられない、それはその通りです。
しかし、あなたは現在の自分の法で、ルールで、過去の法の解釈を変えようとしているのでは。自分だけの歴史書を書こうとしているのでは。
「もう一度私を女性として見てほしい」という奥さんの切実な願いを、奥さんの視点で見直す。過去は過去。新しい法の下でこそ、人間は健全に現在を生きていけると思います。