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父のもとに行きたい

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父が亡くなり、一年が過ぎました。一緒に暮らす母と愛犬の為にだけに日々生きてます。自分はどうでもよい。母と愛犬が幸せなら。父の9ヶ月に及ぶ闘病を毎日常に思いだし、父を助けられたのではないか、私がもっと出来る事が合ったはずだと日々後悔と悲しみです。一年過ぎても尚一層の事思います。どこに父は、いるんでしょうか?会いたい。とにかく、父の元にいきたいのです、せ父の元にいきたいのです。

2020年10月8日 18:08

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いずれはでも今ではありません。

ご質問拝読いたしました。
大変身近な方を亡くした喪失感
お辛いことと思います。
何とも言えない寂しさが、
襲ってまいります。

話は飛ぶのですが、
映画で
グラディエーター
を思い出しました。
剣闘士のことです。
ローマ時代に、
コロッセウムで人と人が、
命を懸けて闘う映画です。
主演のラッセルクロウが、
妻と子どもとの、
楽しい生活を思い出して、
奥さまもお子さまも、
ローマ軍に虐殺されて、
生きてはいないのですが、
家族のもとに早く帰りたい!
といいます。
一緒にいた剣闘士仲間、
明日をも知らぬ命なのですが、
必ず行ける、
でも今じゃない!
と答えます。

まさにその通り、
ラッセルクロウは、
闘いに明け暮れる生涯に
勝利していのち燃え尽き、
旅だって行きました。
そこには、
麗しい笑顔の奥さまが
手を振って再会を
喜んでいらっしゃる。
そんなラストシーンでした。

人は輪廻転生します。
生まれ変わり死に変わります。
時期はわかりませんが、
必ず再会できますよ。

大丈夫!

あなたが泣き顔で、
寂しくしていると、
お父さまま、
お優しいお父さまが、
心配しますよ。

いずれは会えます。
必ず会えます。

どうか、会える日を
信じて、
お母さまとワンちゃんの
お世話をしてださいな。

よろしくお願いします。

ご多幸を祈っていますよ。
お父さまと一緒に。

2020年10月8日 20:43
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浄光寺の花山雲吉です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...

お父さまがどこにおられるのか訪ねてみませんか?

チョコレートさんにとって、お父さまはとても大切な存在だったのですね。

大切なお父さまを亡くされて、もっとお父さんにできたことがあったのではないかと、チョコレートさんの心が後悔と悲しみに覆われていること、お聞かせいただきました。辛い気持ちを書き込んでくださったことありがとうございます。チョコレートさんの言葉に、痛々しいお気持ちと、そして、お父さまやお母さま、愛犬への温かさを感じます。

お父さまはどこにおられるのでしょうね。

よく、お弔いという言葉を使いますが、「弔う」(とむらう)という文字は、古語では「訪ふ」(とぶらふ)という文字だったと聞いたことがあります。「訪ふ」とは読んで字のごとく、たずねるという意味でしょう。

チョコレートさんも、もし良ければ、お父さまがどこにおられるのか、訪ねてみるのはどうでしょうか。お父さまとの思い出の場所に行ったり、親しい人に在りし日のお父さまのことを、たずねて見るのも良いかもしれません。お墓参りなどもあるでしょう。僧侶としては、これを機会に仏教にたずねてみませんかと言いたいところでもあります。

仏様の国にいますよと、答えようかとも悩んだのですが、それではチョコレートさんも、そして私自身も納得できないような気がしました。なのでまずは訪ねてみませんか?

2020年10月8日 19:41
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真宗大谷派僧侶。共に悩める場所を求めてこちらに参りました。

「亡くなった・死んだ人に会いたい」問答一覧

お母さんに会いたい

先月末、大好きな母を60才で亡くしました。(先月始め母方の祖父を亡くしたばかりでした。まさか連れてっちゃったのかな。) 効くと言われる事は出来る限りやって、専属管理栄養士になったつもりで食事療法もがんばりました。絶対諦めませんでした。 最後に病院に運ばれた時、手術しなければあと2、3日。と言われました。母は「ごめんねみんな、もう許して。穏やかな最期を」と言って、その日に家に帰りました。 それからしばらく落ち着いてました。本人も生きることしか考えてなかった。しかし急変してからあっとゆう間で、最期は自宅で、親族そろってみんなでベッドを囲み、静かに息を引き取りました。亡くなった後もまるで微笑んでるような顔でした。 母は、私の事を「食事とかを頑張ってくれるからありがたい」とか「あの子はあたしがいないとダメだから」と言っていたみたいです。 毎日お母さんと過ごしていて、病気をしてからは友達と遊ぶことも家族で出掛けることもなく、平日も休日もお母さんの側にいました。でも最後に救急搬送された日、私は出掛けてました。出掛ける前、母はかなり辛そうでした。でも「行かないで」と言われたくなくてきつく当たってしまいました。そしてその夜救急搬送。あの朝病院に連れていけばよかった、あんな言い方しなきゃよかった。 お母さんが倒れる度にもう後悔ないように過ごそうと決めてたはずなのに。 今日が山です、と言われた日も前日からあまり寝ていなかったのでイライラして、母に呼ばれたのに「なに?」と怒りながら聞いてしまいました。ただ近くにいて欲しかったんだろうな 元気なお母さんだったから、体が思うように動かなくなって本人が1番悔しかったと思います。なのに私は動かないことを責めてしまった。私たちのことを本当に大切に自分を犠牲にして育ててくれた。孫のことも心から大事にしてくれた。1番下はまだ9ヶ月。成長をもっと見て欲しかった。 お母さんを病院に連れて行く時間も幸せで全然苦じゃなかった 短い人生でもぎゅっと詰まった濃い時間だった。こうなる運命だったから濃い親子関係だったんですか? もっと早く気付きたかった。助けたかった。お母さんがいなくなってから毎日泣いてます。体調が悪くて毎日がしんどいです。もうすぐ1ヶ月。お母さんは今どこにいるのか。寂しくないでしょうか?苦しくないでしょうか?また会えますか?私たちが見えていますか?

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亡き母に会えるのは

相談になっていませんが、お邪魔してしまいました。 夏に母が亡くなり、つらい毎日です。 父も主人も、前に亡くなり、母と私いつも一緒でした。外から帰ると、こんな事があったよ。と、時間が経つのも忘れて話し込み、高齢でしたが、自分の事は自分でし、本を読んだり、 たまに息子(孫)も、連れて旅行に行きましたが、母も私も出不精なので、休みの日は、家でお喋りしていました。 息子達は、一人暮らしや、仕事で遅くなったりで、母がいなくなって、一人ぼっちになり、毎日つらくてたまりません。 よく、死別の悲しみには段階があると、書いてありますが、今、寂しさと、つらさに加えて、他の人へ対して、「どうして、こうしてくれないんだろう!」とか、「こうしてほしい!」とか、「こう言えばよかった!」と、普段の気にしいの恨み辛み事まで出たり、 集まりで、何人かの人達と会う時も、母の事をなぐさめては、くれるんですが、帰った後、精神的にしんどくなり、動悸を打ち、喪失感が大きくなり悲しくなります。(慰めてもらえなかったら、それは、それで、どうして誰も何も言ってくれないの?と思ってしまうと思いますが) この精神的にしんどいのと、寂しいのと、恋しいのは、もうちょっとしたら、母が帰ってくるんだったら、我慢もできますが、いつまでも、このままだと思うと、あと何年我慢したら母に、会えるのかなあと考えてしまいます。 仕事は、週1〜2回行って、その間だけ気が紛れています。 今は、食事を作るのも、買ってきたお惣菜を食べるのも、家の事も、ほとんどできていません。 仏壇の前の母の遺影の前で、書き物をしたり、布団を持ってきて寝たり、少しの食事を取り、ずっとこの部屋にいます。 息子が、思いもしない優しい言葉を言ってくれただけでも、感動して泣いてしまう始末です。 少しずつ、前に進んで行けたらいいのですが。

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母に会いたい

はじめまして 語源力がないですがよろしくお願いします。 今年7月に母が亡くなりました 癌でした。 僕は地元離れた2、3時間の距離に住んでました 癌ってことを知ってからは 会いに行く頻度を増やそう 食べたい物や行きたい所に連れてってあげようと思いましたが自分の事優先にしてしまいあまり親孝行もしてあげれませんでした。 それでも母を連れてプチ遠出したり買い物したりご飯食べたりしたら すごくニコニコしてて楽しそうにしてくれてすごく嬉しかったです 後からばぁちゃんが言ってたのですが すごく嬉しそうにどこどこ連れてってもらったんだよ〜とか話してたよと聞きました。 その事を聞くとこんな事になるならもっと親孝行できたのにと後悔しかありません 最後は病院で一緒にいる事ができたのは良かったです。 亡くなるちょっと前の日に帰省するからね美味しいもの食べに行こうと言ってたのにお盆が近いからその時に帰る事にするねと言うと母は僕の事を心配してくれてお金もかかるからゆっくり家で休んでお盆においでと言ってくれました それなのに僕は家で休まず友達と遊んでました その時には母の状態もあまり良くはなかったです あの時行ってれば家にいる母に会えて 美味しい物食べに連れてけたのに 後悔しかない自分が情けなさすぎて 母には謝る事がいっぱいです 罪悪感でいっぱいです 最後は薬の影響で多分意識朦朧としてて きちんと感謝の気持ちや謝る事が出来ませんでした なので話す事もいっぱいあるので 母に会いたいです 母がどう思ってるのか この先どうして行けばいいか知りたい そしてちゃんと謝りたいです

有り難し有り難し 22
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今も待ってます

こちらのサイトには凄く助けられております。長男が亡くなりもうすぐ五ヶ月。けど、私は五ヶ月前から時が止まったままです。毎朝毎晩線香をあげながら、いつ、帰って来るのかな。と、聞いてます。今思えば、色々長男がおかしかった事を思い、後悔ばかり。あの時、ああしていれば、色々思います。何故、何故、自分で死を選ばせてしまったのか後悔ばかり。出来るなら、あの子が生きていた時に戻りたい。もう一度抱きしめたい。二度と離さない。けど、日々無情に過ぎて行きます。私はあの日から動けずにいます。何故私では無かったのか、何故あの子でなければいけないのか。帰って来て欲しい。あの日の前に戻りたい。今すぐ会いに行けるなら、会いたい。私の最後のわがままです。あの子に会いたい。私は、何度かリストカットをしてしまい、精神科にも行きました。そこで鬱ではないと、言われました。だから、考えもまともです。最後に息子と約束をしました。次男が一人前になったら、すぐにでも会いに行くよと。それだけを希望に今は生きています。毎回同じ様な内容になってしまいすいません。自分の本心はやはり家族や、身内には迷惑がかかると思い、言えません。自分自身で飲み込むしかなく、同じ事ばかり繰り返しです。本心は何故私は生きているのか、こんなにも死にたいのに、生きて苦しいなら、けど、私が死んでも息子には会えないから。会えるのは今写真でだけ。けど、死んだらそれさえ出来なくなる。とてもしんどいです。生きる事も死ぬ事も出来ず、息子に対する後悔ばかりが増えてゆきます。すいません。本当に、読んでくださりありがとうございました。

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会う方法を教えてください

 2度目の相談となります。 大事な方がなくなり、今日で19日が経過しました。 毎朝毎晩、以前いただいたアドバイス通り、手を合わせ、私の声が届いていることを願いお話ししています。 でも、亡くなってからは毎日、 五感を通じて、色々と思い出して、ずっと泣いています。頭が痛いです。 もう疲れてしまいました。 自動車学校や大学に通っている途中ですが、1番に支えてくれていたあの人が頭に浮かび、学び続けることが困難になっています。 あの人から好きだとかそういった言葉は一度ももらえませんでした。 でも、私の体調を1番に心配してくれて、いつも頑張る元気をくれて、どこに行くにも連れて行ってくれて一緒に居てくれました。 そして、本当に色々な人に親しまれていました。 そんな方が 最後に会ったのが私で良かったのか。 なんで私に会いにきてくれたのか。 私のことは、どう思っていたのか。 色々聞きたいことが沢山あります。 だから、また絶対に会いたいです。 そもそも、家族でもなく、世間的には許されない関係、そして出会って2年、ましてやほぼ毎日一緒に居続けた期間が半年程の私ではもう会うことはできないのでしょうか。 私のことは忘れられてしまいますか? 私でも、あの人にまた会えますか? 私はどう生きて、どう死ねば会えるのでしょうか。 あの人は今どこで何をしていますか? 教えていただきたいです。

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父は今、笑顔でいますか?

はじめまして。いつも拝見させていただいております。乱雑な文章ですが、どうかよろしくお願いします。 今年の4月に父を亡くしました。人の住まいを作る、立派な父でした。 2ヶ月経った今も、ふと涙が止まらなくなります。 約1年前に病気がわかったときから、父はなにを考え、一日一日を過ごしたのでしょうか。 闘病中は家族みんな希望を捨てず、可能性を信じて父を励まし続けました。父はそれに応えるように、弱音を一切吐かず治療を頑張り、体が以前のように動かなくなっても“生きる”という意思を貫きました。私たち家族の為だったと思います。 亡くなる1週間ほど前に、私が「父さんは絶対大丈夫。絶対治る。」と言ったとき、父は「嬉しい。」と言って泣きました。父がこんなにも泣く姿を初めて見ました。 でももしかしたら、父は、“自分はこの先どうなるんだろう“という不安に寄り添ってほしかったかもしれないと、今更答えの出ないようなことばかり考えてしまいます。私がポジティブな言葉ばかりかけ続けていたのは、ただただ自分自身の為で、私が父の病気を受け入れられず、現実から目を背けていたのではないかと思います。 ときには不安を共有し、泣きたいときには一緒に泣いてほしかったのではないでしょうか。 自宅で明け方に亡くなった父は、家族に「おやすみ。」を言って、みんなが寝静まってから、眠ったまま逝ってしまいました。苦しんだ形跡もなく、寝入るときのままの表情だったので、本当に穏やかに眠ったのだと思います。父の最後が安らかで良かった、生前積んできた徳がこうして人生を締めくくったのだと思いました。 しかし私たち家族は旅立つ間際に手を握ることも、今まで大切に育ててくれた感謝を伝えることもできませんでした。 お医者さんや看護師さんは、“人は死に方を選ぶ”とか、“お父さんは自分で決めて、この時間に逝ったのだ”と言ってくれました。確かにこの言葉にどれだけ救われたかわかりません。 でも、私が眠らずに手を握っていれば…逐一様子を見ていれば…とどうしても後悔が消えません。 まだまだこの世でやりたいことが沢山あったと思います。でも強い人でしたので、自分の生きる世界が変わったことなど早々に受け入れて、新しい毎日を過ごしているのではないかとも思います。 父は今、笑顔で私たちを見守ってくれていますか?

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