死にたいですが、死ねません。
20代後半の成人です。
高校生くらいからぼんやりと早く死にたいな(辛い思いをしてまで長生きしたくないな)と思うようになっていたのですが、最近その念が強くなってきました。
昔から人間関係で苦労してきて、いじめや自傷行為の過去はあるのですがその時は死にたいと言うよりむしろ怒りが勝ってどうにかして見返してやろうとエネルギッシュになっていました。
しかし年を追うごとに周りの環境や友人の意識が変わってきて急に未来が怖くなり思い悩む日々が多くなってきました。
そんな時に自身の病気、肉親との諍い、職を得られないと言うことが重なり、嵐の日の川の前で姉に自殺宣言をしていました。
そこから姉と母が地元から私の家まで来てくれて一晩付き添ってくれました。
自身の体調を見ながら頑張ろうと思い仕事も得ることができて頑張ろうと思っているところだったのですが、ふとした瞬間に死んで何もかも悩みたくないと思ってしまうのです。
とても不謹慎な感情ですがニュースなどで人の自殺の訃報を目にすると羨ましいとまで思ってしまうのです。
いつも死にたいと思う時母親のことを思い出します。私が死んだら後悔して体を壊すかもしれない、後を追って死んでしまうかもしれない、と思うと涙が出てきて死にたいのに死ねないと絶望してしまいます。
家族は悲しせたくないと思うし、私の選択で彼らの人生を狂わせたくないと思いますが現在私を繋いでいるのは母親への想いだけです。
このような思いを持たれている方は少なくないと思いますが、生きていきたいと思うためにどのような考え方が必要でしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
家族のことを考えるあなたは温かい
Zoeさん、書き込みありがとうございます。
プロフィールと併せて読ませていただきました。
Zoeさんは、高校生の頃からぼんやりと死にたいと考え始めて、その思いが最近強くなってきたのですね。
昔から人間関係で苦労されていて、いじめられたりや自傷行為をされたこともあったと。その時には死にたい気持ちよりも、どうにか見返してやろうという怒りが勝っていたとのこと。
けれども、年数が経つ内に、環境や友人の意識(関わり方?でしょうか)が変化して、急に未来が怖いと怖くなり思い悩む日々が増えてきたのですね。
ご自身の病気と、肉親との争い、お仕事のことと問題が重なって、Zoeさんは嵐の日に川の前からお姉さんに自死すると伝えられた。
その時にはお姉さんとお母さんが、Zoeさんのところまで駆けつけて一晩付き添ってくれたのですね。そこで、Zoeさんも、体調と付き合いながら頑張ろうと、仕事も得られて頑張ろうと思っていたけれども、ふとした瞬間に死んで何もかも悩みたくなくなりたいと思われると。
ニュースで自死の話を聞くと羨ましくなる。死にたいと思う時にはお母さんのことを思い出されて、その事を考えると、死にたいのに死ねないという絶望があるのですね。
そのように、Zoeさんのお話を聞かせていただきました。
Zoeさんは、優しい方ですね。家族を悲しませたくなくて、死にたいのに死ねない。もちろん、いろんな事情の方がおられますが、ご自身が辛くても家族の方への思いを忘れないZoeさんのすがたに温かいものを私は感じます。
最近、著名人の自死のニュースが多いですよね。自死の報道があると自死の件数が増えるという話を聞いたことがあります。そのためWHOの指針などにより慎重な報道が求められているようですが、なかなか日本では守られていないようです。
生きていきたいと思うためにどのような考え方が必要かというZoeさんのお言葉に、私なりに応えたいと思います。
仏教の言葉を語ろうか、私自身の経験を語ろうかと思案していたのですが、どれもしっくりこなくて消してしまいました。
Zoeさんの言葉を通して私は、生きることが辛いけれども、死ぬことも選べない辛さを教えていただきました。Zoeさんが辛い思いを抱えながら懸命に生きておられるなら、何も足す必要はありません。
質問者からのお礼
秋山様
お優しいお言葉ありがとうございます。
自分がなぜ生きているのか、生きている必要はあるのかと思い悩む日々ですが、それでも秋山様に優しいとおっしゃって頂いたことで少し気持ちが救われました。