自分の弱さ
現在介護の仕事をしているんですが、2年前に
実の親の介護をしていました。
実際親の介護と仕事の両立が難しくなり、その時に、勤めていた仕事も辞めるしかなくなり
ました。
その時に、親に「介護をするから、その代わりに金銭的に援助して欲しい」と話をしました。
それからは、親のワガママが酷くなり、まるで
お手伝いみたいな扱いを受け、言葉では
「金銭的援助してるんやから、無理を聞くのが当たり前」と言われました。
その状態が、約2年程続きようやく、介護施設に入り解放されました。
私自身、小さい頃に祖父や祖母がいなかったけど、親の介護をする前から、介護をしていて
お年寄りが好きになりました。
でも、今は一生懸命に介護をしている時に親からの酷い言葉が、頭の中をよぎります。
私はこのまま、介護をしていても良いのかな?
一生懸命にやっても誰の役に立ってないのかな?
このまま、自分の好きな仕事続けて良いのかな?
少しでも楽になれるアドバイスお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
身近な人ほど、わがままですよ。
ましてや、親子ならなおさらです。他人に絶対に言わないようなことを、家族、身内ですと、
いともたやすく言ってしまう。その限度を超えてものがDVです。
あの人がね~って外面はいいんですが、家の中では家族に対して暴力、
これは物理的なものだけではなく、言葉の暴力つまり暴言も含まれると思います。
そういうことは、意外と身近なところで起きていたりするようですよ。
それを考えると、ご両親さまのそれはあなた様に対する甘え、わがままです。
心の中では、ものすごく感謝していると思いますよ。
逆にいうとだから親子、家族なのではないでしょうか?
下重暁子さんの「家族という病}という本がありますが、逆に家族だから怖いといえるかもしてませんよ。
なかなか逃げられませんし。親子はね、難しいです。
私も80過ぎた両親の通院など、仕事を抱えて勘弁してよといいたい時もありますが、
平気で言ってきます。病院は半日かがり、下手をすると1日がかりですよね。
他人だとお礼をいうのでしょうが、息子だと当たり前なんでしょう(笑)
それでいいんです。他人行儀という言葉がありますが、どちらかが受け止めないと収まらないんです。
親の因果が子に報いという言葉がありますが、仏教的には自分の因果は自分の因果です。
親の養育を受けて成長し(因)、年取った両親の介護をする(果)という構図です。
果たさないとどうなるか、来世に積みましですよ。介護をしてやったと思うから、反対給付を求める。
自分の責任をこの世で果たしたと思えば、まさに果報者ですよ。あなた様は。
私は、社福や精神の実習を、特養などで受けたことがありましたが、
トランスや入浴、食事、トイレ介助など、自分の体を酷使して利用者さんのために、一生懸命介護されて
いる姿には、毎回敬服します。大変だな~と心から思いました。
そうしたお仕事に喜びと、感動そして、プライドをお持ちのあなた様は
本当に素晴らしい、ご立派です。自分で自分を褒めてあげてください。
そしてこれからも利用者さまのために頑張ってくださいね。
あなた様とご家族のご健康とお幸せを祈っていますよ。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
何故か涙が止まりません。
でも、これで一歩前に進める気がします。
これから、また自信を持って仕事をして行きます。
本当に、ありがとうございました。