相手からは完全に嫌われているのに。
実は心の中で想ってる方が居ます。何人か友人は居るのですが、本当に信頼してるたった一人の友人にしかその想い人の話をしています。
出会いは約3年前程なのですが、出会い方もあまり良くなく、その当時は私自身も相手の態度や行動が好きではなく、寧ろ毛嫌いしてたくらいでした。ですが、ある時ふと「かっこいいな」って思い、そこから意識するようになり、恋心を抱きました。ですが、お互い顔を合わせると馬が合わず、酷い時には相手に突き飛ばされて蹴られることが普通で、何なら罵声を浴びせられ、その時は「大嫌いだ」って感情が湧き上がったのですが、また時間が経つと好きに変わってしまいます。本当は諦めた方が良い相手だとは分かってるのですが、なかなか諦め切れず、好きが募るばかりです。それなのに相手からは私のこと相当毛嫌いしてる気持ちが伝わり辛くなります。こういう時ってどうしたら吹っ切れるのでしょうか。自分が変われば、また出会えるかもと安易な考えが浮かんだりと、自分の甘さにも嫌気をさします。失恋してるのは重々承知です。是非お言葉を貰えたら嬉しく思います。
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「美しき誤解」を客観的に見直す
こんにちは、初めまして。
どうすれば「吹っ切れる」のか、というご質問です。
想いを叶える、という方向性だと前向きな回答を前提にしているので、望ましい言葉を色々と選べるのですが今回はその逆ですね。だから、あなたにとっては歓迎できない言い方をせざるを得ませんが、ご諒解の上で聞いて下さい。
「心の中で想ってる方」から、「お互い顔を合わせると馬が合わず、酷い時には相手に突き飛ばされて蹴られることが普通で、何なら罵声を浴びせられ」というのは中々激しいですね。どういうご関係なのか、ちょっと想像が難しいのですが事実なのでしょう。
あなたは、相手の「相当毛嫌いしてる気持ち」を感じていて、「本当は諦めた方が良い相手」だと分かっているのですね。しかし、どこか「安易な考え」があって、諦めきれない。だから、「吹っ切れる」方法を問うのでしょう。
あなたは、「ある時ふと」「かっこいいな」と思ったのですよね。それは、外見的なところなのか、内面的なところかは分かりません。ただ、その「かっこいいな」は、あなたの心のなかで生まれた彼の像なのでしょう。つまり、あなたの思い込みによる勝手な理想像だったのではありませんか。
亀井勝一郎という方の言葉に、恋愛とは「美しき誤解」、結婚とはその「惨憺(さんたん)たる理解」だという言葉があります。
あなたの描いた「かっこいい」は、その後の行動(「蹴られることが普通」「罵声」)でおおよそ紳士とは呼べない行動から見れば「美しき誤解」だったのでしょう。「美しき誤解」自体を私は否定はしません。むしろ、それがなければ恋愛というものはそもそも成立しないでしょうから。
しかし、「美しき誤解」は、両思いであってこそ甘美であって、一方的であればそれは迷惑になります。向こうの気持ちを考えずに、自分の「美しき誤解」をいつまでも守ろうとする頑なさ、これは今後のあなたにとって早々に見直すべき課題でもあります。そして、相手を第一に思いやるという、愛情の基本を身につけるためにも。
その相手を前提として、自分を変えるのではありません。
次の素敵なご縁に出会うため、自分が自分のために変わることが必要だと思います。