強くなれない
私は教師です。
今年から人事異動で新しい学校に移りました。しかし教員同士の人間関係で悩む日々が増えてきました。業務量も多く、やめたい、行きたくないという思いをする日が増えてきました。
そんな中、先日交通事故を起こしました。通勤途中で、私は自動車を運転していました。安全運転をしていたのですが、脇道から自転車に乗った学生と接触事故を起こしてしまいました。学生は打撲でした。保険屋さん、警察も私だけの過失ではないと言われましたが、相手の保護者はすべて私の過失であると主張しています。謝罪にも行きましたが、誠意を感じないと言われ、また教育者なのではというように言われます。私自身も大変申し訳ないという気持ちはありますが、納得できない点もあります。まだ現在も保険屋さんが話をしている状況です。
ただそれから私はあまり眠れず、食欲もあまりありません。
今まで真面目に生きてきたつもりです。
どうして自分だけがと考えるようになりました。
というよりもこんな私が教壇に立っていいのだろうか。こんな事故を起こしてしまった私が子どもたちを指導するなんておこがましいと感じるようになりました。
でも仕事を辞めるわけにはいかないとことも頭ではわかってます。
自分が嫌になっています。
ひとつひとつが解決していけば心境も変化するのでしょうが、なかなか心が追いついていきません。強くならないといけないのはわかっていますが、そんな心をどうやってつくればいいんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
これまでの功績、これからの責務
こんにちは、初めまして。
「人事異動」による新しい環境、「教員同士の人間関係」、「業務量も多く」とのことです。また、激務の中で交通事故に遭われてさぞ落胆のことでしょう。先ずは、あなたの辛いご心境をお察しします。
「こんな私が教壇に立っていいのだろうか」、「事故を起こしてしまった私が子どもたちを指導するなんておこがましい」と悩んでおられます。私は、是非ともあなたには今まで通り教鞭を振るってほしいと励ましたいです。
私とあなたには共通点があります。
それは、世間一般で言う聖職者と言われる立場です。
また、私は10年近く大学でも講師をしていましたので、あなたと全く同じではないですがお気持ちの一端が分かる気がします。
聖職者は、とかく世間から求められるハードルが高く設定されます。先生だから、先生なのにです。
罪を犯すと随分大きくニュースでも取り上げられます。
この度の事故では、「大変申し訳ないという気持ち」を先方に伝えても、「誠意を感じない」「また教育者」であることをなじられたようですね。「保険屋さん、警察も私だけの過失ではない」という状況から見ると、軽車両運転者の学生さんにも落ち度があったということでしょう。
一方的に責められる出来事ではないはずなのに、一方的にあなたを、そしてあなたの職業まで非難するなどは明らかに先方の度が過ぎています。こんな人の言い分を「真面目」に受け止めるのは止めましょう。話半分に聞いておいて丁度いいぐらいです。
教壇に立つということも、聖職者の立場で生きていくことも、求められるハードルが高いがゆえに辛いことも多いでしょう。非難されることもある。しかし、その苦難がある反面、何十倍も、何百倍もあなたには未来の若者を育ててきた功績、育てていく責務があります。
いままでのあなたの足跡を思い出してください。口には出さないまでも、あなたに親しみを持ち、あなたのお陰で学業を無事満了していった生徒さん達が多数いることでしょう。その生徒さんたちの顔を思い出してください。
そして、今日もあなたを頼りとしてノートを広げている生徒さん達がいるはずです。その生徒さんたちのための今日がまた始まります。何十人、何百人の生徒さんたちのための今日を、今まで通り果たしていってください。真面目に、誠実に職務に当たるあなただからこそ出来ることです。
応援しています。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
大変勇気が出ました。振り返ると多くの教え子たちがいました。
これが自分の自信に繋がっているのだと改めて思いました。
今日昼過ぎにこのコメントを読ませてもらいました。午後は少し晴れやかになり、仕事を終えることができました。
ほんとうにありがとうございました。