不幸が重なる
以前相談に乗っていただいた者です。
信じて頂けないかも知れませんが、母に続き父もガンで入院、娘はコロナ鬱で学校を休学寸前、主人はパワハラで鬱になり休職→退職を検討しています。
問題が次々と出てきて、辛いです。
中でも一番辛いのは、主人が仕事を辞めたら収入が私のパート代だけになってしまうことです。とても家族を養っていけません。けれど、鬱の主人に働けとも言えない。このコロナ禍でおそらく仕事を探すのも大変なのに、どうしてこんなことになってしまったのか。両親と娘のこともあるのに…と、途方に暮れています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
りんさん、踏ん張るときですよ!
拝読させていただきました。
人生は山あり谷ありとよく言うものです。
渦中にいれば、中々冷静になれるには難しいことでもあり、心中心ばかりでございますが、お察しいたします。
「家族」
民族、暴走族、様々な分野で「族」が付きます。
これは、誰かが苦難にいるときに誰かが族の維持をすために信用をし合える関係の絆が深まるときであります。
身を粉にして、パートで家族を養っていくことはとても困難であります。しかし、家族からはりんさんが働き詰めの姿を見ています。そんなとき、不思議な力が働くものであるのです。
鬱や風邪もそうですが、薬というものは一時的な緩和のために、処方するのであって、また起こらないように人は他人を救う気持ちが鬱や風邪で、憂鬱な気持ちにサヨナラする大きなキッカケ(縁)になるおそれもあります。
未来は誰にも分かるものではありません。しかし、今を懸命にできることを行うことで、家族以外の人々からも援助があるかも知れません。
なぜにこう言えるのかと感じることと思います。世の中には様々に人がおられ、自分自身のために命を使っている人たちは、自己満足である壁が生じ、他人に命を使うことで、自身が輝いていく実感(幸福)を得るからなのです。
明確な答えになっていないかも知れません。
このまま働いてもマイナスになる不安との葛藤もあることと思います。
必ずや、今の苦境を乗り越えれることを信じてください。
入り口があれば、出口はあるものです。
それでも困窮を来たしたとき、色々な支援団体にも相談する道の選択肢もあります。
諦めない気持ちを、私たち僧侶も日々世の中が良くなることを祈願しています。
明るい日が必ずある。時が経てば、あの時ほんとに苦しかったけど、今があるのは過去に踏ん張れたお陰だと言える日を信じていきましょう。
応援しております。
合掌
南無大師遍照金剛
質問者からのお礼
法源様。
温かいお言葉をありがとうございました。少し気持ちが軽くなりました。
いつか明るい日が来ることを願い、今を懸命に生きようと思います。