疑心暗鬼をやめたいです
初めまして
小さい頃から私はだらしなく、よく母は私の世話をしていました。
母は私が「やめて」と言ってと言っても、部屋に入りゴミを捨てたり、私の車の掃除をし私物をゴミと間違え捨てたりしていました。
私は何度か勝手な掃除をやめて欲しいと頼みやめてもらいました。
その後は「世話は私がするので何もしないで」と言ったはずの野菜の世話を勝手にし、まだ熟れていない野菜を「大きくなったから」とほぼ収穫してしまいました。
私が野菜はまだ熟れてないこと、世話をしないでと前々から言っていたことを伝えても「そうだったの?」と軽く言われ、私はそれに対し怒りましたが母からは取ってつけたような謝罪をされ、それきりになってしまいました。
これは、私がだらしがないゆえ、掃除しないと自分から掃除しないだろ、野菜も途中で投げ出すだろと思われていたからこういったことになったと思います。
でも、私は最後まで育てたかったんです。
私は小さい頃からいじめられ、いじめられた原因か、いじめが原因か、わからないですが思い込みや疑心暗鬼が酷く、人を傷つけてしまうこともありました。
母への疑心暗鬼が酷くなってしまいました。今まで色んなことされたんだから疑心暗鬼になっても仕方ないという正当化しようとする自分がいて自己嫌悪を陥ります。
今までだらしなかった自分へのツケが回ってきたんだと思います。
どうしたらいいかわかりません、このままだと色んな人を傷つけてしまいそうで怖いです。
意味のわからない長文ですみません。
どうかお力を貸してください。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
感謝して一歩を踏み出す
こんにちは、初めまして。
あなたは、「小さい頃から」「だらしな」いという自覚があるのですね。
だから、「母は私の世話」をするのだということも。
お母さんが、あなたの「世話」をしようと「部屋に入りゴミを捨てたり、私の車の掃除をし私物をゴミと間違え捨てた」ことがある。これをあなたは、「勝手な掃除をやめて欲しい」と言った。
あなたは掃除する必要がないと感じていても、お母さんは掃除する必要があると感じる場合がある。その同様のすれ違いが、今回の野菜のケースでも起きているのでしょう。
では、あなたはお母さんの意向を汲んで、お母さんからの「世話」を受けないように進んで部屋や車の掃除しているのでしょうか。野菜の手入れや水やりを自分で全部できていたのでしょうか。
もし、これまでお母さんを安心させるほどの日頃の積み重ねがなかったとしたら、自分の思いだけを通すのは難しいと思います。
お母さんに「疑心暗鬼」を向けるよりも感謝を向けるべきではないですか。
自分の「世話」をしてくれて有難う、と。
「今までだらしなかった自分へのツケが回ってきた」ことに思いを致して、これからはお母さんを心配させない、一成人としてせめて身の回りのことは出来るようになったところを積極的に見せていきたい、安心させてやりたいという方向に心を向けていくべきではないでしょうか。
あなた自身に、過去の「いじめ」という苦しい過去があった。それについては、とても辛いことだったであろうと察します。
でも、お母さんも今、辛いのではないでしょうか。
20代を迎えたわが子の身の回りを一からしなければならない。あなたが自分で掃除をすると言ったから、一先ず自主性にまかせて様子を見てくれているのでしょう。しかし、これは最初の出来事ではなく、過去に何度もこういったやり取りの繰り返しをしてくれているのではありませんか。辛抱強く様子を見てくれている間もお母さんはあなたの姿を見て気をもんでいるでしょう。
過去と結びつけて考える限り、いつまでたっても前に進みません。
過去の出来事の再現ばかりを見ることになります。
あなたを根気強く支えてくれているお母さんがいる。
その今を、気持ちがある今を大切に一歩踏み出してください。
追記
ご返信ありがとうございます。
お役に立てれば何よりです。
また、質問あればお寄せください。
質問者からのお礼
返信ありがとうございます。
精神が不安定な時に書いていた為、乱文すみませんでした。
言葉を受け止めて母に感謝し一歩踏み出そうと思います。
後ろの過去ばかり、私は見ていたので過ぎたことは過ぎたこと、今は今で、前の未来をしっかり見て、母が安心できるような人間になれる様改めて頑張りたいと思います。
ありがとうございました。