心が狭い自分を変えたい
会社での昼食を一人で会議室で食べています。それが寂しいというわけではなく、誰にも気を使わず、ほっと一息つける時間だったのです。それを知った女性から一緒に食べてもいいか?と聞かれ、会議室が私の専用スペースというわけでもないので、一緒に食べていたのですが、その女性が私の同意を得る事なく、どんどん新しい人を招き入れるのです。皆んなで雑談などして和気藹々とはしていますが、誰にも気を使わず、ほっと一息できる空間が奪われた気がしています。
人が増えればそれなりに会話に気も使うわけですし、合わないと思う人とお昼まで一緒にいるというストレスも少なからず感じます。何より、その会議室に私の同意を得る事なく、勝手に人を誘っていることにモヤモヤしている気がします。一人になりたければ、私が違う場所に移ればいいわけですが、会議室を使っていたのは私で、彼女に悪気はないのかもしれませんが、マナー違反だと感じます。
私自身は普段、周りには割と社交的に振る舞っていますが、実はこのような心の狭い考えをしているのです。
でも、もしも彼女が誘う人たちから直接、ここで食べてもいいか?と聞かれたとしたら、断れないだろうなとも思います。
心では嫌だと思っても、少し配慮があれば受け入れられたかもしれません。
本来息抜きになるはずのお昼の時間が、気が重い時間になってしまいました。何とか前向きに考えを切り替えることができたらと思っています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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まさに諸行無常ですね
ご質問拝見させて頂きました。私も同じ経験があるのでお返事したいと思いました。仏教用語にもある諸行無常とは常に人や物、環境などが移り変わっていくものであり、ずっと同じではないよってことです。ここから人のはかなさも学べます。あなたが経験したこともどんどん環境が変わっていったわけですから諸行無常と言えるでしょう。これは変えようのない事実でございます。受け入れていくしかないというのが基本的な考え方にはなります。ただこの場にいることで不快感があるということでしたら逆に自らその場を離れるという選択肢もあるかと思います。ご縁あって人が集まられたわけですから、ご縁を大切にするという考え方もあると思います。どれを選ぶかはあなた次第です。ご自分の中で納得するものを選んで頂けたらと思います。 合掌
追伸:私はご縁、ご縁と口にしてかかわりを持つという選択肢を選びましたよ。
お気づきの通り
あなたから離れて食事するのが一番です。
公有の場であるなら、仕方がないこと。その方も良かれと思ってそうしているのかもしれませんし、一方的にマナー違反とも言い切れない気がします。
人が嫌なら人がいないところに行くのが一番問題ない話ですね。
逆にあなたが他の人を誘って食事をしても問題ないわけでそれと同じですからね。
考え方が合わない。思い通りにならないのは人生の当たり前ですから、そうした現実と上手に生きていくのが大事です。
〇〇すべき、〇〇でなければならない、と言う考えは自らを苦しめますから、柔軟に対応できる赦しの姿勢で生活できるとよいと思います。
質問者からのお礼
お忙しいなか、仏教の教えをわかりやすく説いてくださり、ありがとうございます。
諸行無常... 仏教の教えはやはり尊いです。心にスッと入ってきます。
日々忙しく過ごすなか、つい忘れがちな事を再認識できました。
自我が強く、新しい環境が苦手で、変化を好まない私の性格を素直に自省できました。
ご縁を大切にする、素敵な考え方だと思いました。こう考えれば毎日のお昼時間も辛く感じなくなりそうです。
変化を受け入れ、ご縁を大切に。心がけてしなやかに日々過ごしたいものです。
ありがとうございました。
ご助言ありがとうございます。
〇〇すべき、〇〇でなければならない、と言う考えは自らを苦しめる...仰るとおりだと思います。
自我が強いことが自分を苦しめている、心穏やかにいられない原因であること自覚しています。物事にとらわれない柔らかな心「柔軟心」を持ちたいです。
柔軟に対応できる赦しの姿勢で生活できるようになるにはどうしたらいいのでしょうか。
指針となるような禅の言葉、考え方などが知りたいです。
ありがとうございました。