何の為に苦しみながら生きるのか。
ご拝読頂きありがとうございます。
表題の通り、生きる中で希望や楽しみがなく、路頭に迷っている気持ちです。
職場では、切磋琢磨し合い、活発な意見交換が求められる環境の中、自分には何か発言が思いつかずです。
職場でスタッフ同士の笑い声が聞こえる時は、大抵の場合は他のスタッフの問題点について話していて。
普段自分と近くで仕事しているスタッフや上司の笑い声が部屋に響くと、私の地獄耳が働きます。
私のことを言われている場合も多く、それでもその問題点を直せる気がせず、どうしようもなく感じております。
職場で以前は上司からサイコパスと呼ばれており、今も心ここにあらずな時間など、生きている心地がしません。
いつかクビになりそうとか、誰も信用できないとか。
もっとこんなことがしたいや、こんな風になりたいといった、目標や意欲が足りません。
死ぬ勇気がないならば、生きるしかないことは承知です。
社会で生きていくには、生き残る為にがむしゃらにならなくちゃいけないとも、頭では分かるのですが。
どうすれば前向きに、そして周りと協力して誰かの力になれるのかと、思考を巡らせても何も思い浮かびません。
仕事以外は、結婚願望もありますが丸一日寝て過ごすことも多く、なかなか外に目を向けられません。
大切な家族やお相手もおりますが、心晴れやかに良い人になれません。
甘い考え方を払拭できるよう、自分から何か行動を起こせるよう、ご助言頂けますと幸いです。
この世にいるからには、誰かの役に立ちたいです。
少なくとも、いない方がマシと言われないよう一生懸命になれればと思います。
宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏様があなたに御一緒下さいます。
「サイコパス」…詳しくは存じませんが、神経過敏になっていらっしゃるのではないでしょうか。他人の言動の全てが自身に向けられているように感じて、だからこそ、周囲の全てに全神経を集中せざるを得ず、そのことで疲れ切ってしまう…今あなたはそんな状態ではありませんか。
その状態を脱出するのに二つの方法があります。
一つはご自身を成長させることです。その為には勉強をし、経験を積むしかありません。多くの本を読むことも必要ですし、また健康作り、身体作りに努めることが大切です。少しでも興味のあることに取り組み、またそれを継続することが重要です。
もう一つは、今の御自身を御自分で受容することです。「私が、今のままの私を認めること」です。難しいでしょうか…でも『今のあなたを受容して下さっている仏様という存在を受け取れた時に、仏様に受け入れられている自分を認めよう。受け止めよう』という思いが生まれます。
どちらの方法を選んでも結構です。また実はどちらの道も一緒に歩むことがが出来るのです。
ともかく仏様はあなたを慈しみ、優しく見守って下さっています。なぜなら「仏様は、辛い状況の中でけなげに必死に頑張っているあなたが可愛くて仕方がない」からです。
あなたから決して離れることなく、あなたを支え続けてくださっている仏様の存在の証である「南無阿弥陀仏」を小さなお声でもお称えしながら、しっかり、ゆっくり人生を歩んで下さい…。
質問者からのお礼
小林覚城様
ご回答下さり、誠に有難うございます。
非常に考えさせて下さるお返事をくださり、今日からまた出来ることから始めようと前向きに取り組めるよう過ごしております。
サイコパスと言われることにも、意味があるでしょうし…心当たりはないか自問しながら、直せるところから直したいと思います。
出来ることから頑張りながら、まだ出来そうにないことに対しては、悲観的になり過ぎずに受け止めながら…
仏様の慈しみに、時々甘えながら、時々励まして頂きながら、自分の為に周りの為に世の中の為に、出来ることを見つけて増やしていきたいです。
毎日心に余裕がある時に、出来ることを探していくことが、社会の為にも自分の為にもなると信じながら。
そして地獄耳に対しても、直接言われたり冷ややかな目で見られる前に聞こえて良かった、その前に先に改善策を考えることが出来ると、前向きに捉えようと思います。
長い人生を進めていけるよう、目的を明確にして取り組めるよう、今後も精進して参ります。
合掌