ペットを殺してしまいました。
先日、ペットを殺してしまいました。
私はいつものようにペットの子を近くに置いておきました。しかし、逃げようとするため、足の下に敷くようにしてしまいました。気がついた時には動かなくなっていました。
一重に箱に入れておかなかった意識の低さが招いたものです。そして、飼っているうちにこの子が荒っぽく扱えば死ぬという意識が薄れていました。
こんなことをしてしまったにも関わらず、もう一度ペットを飼いたいという気持ちがあります。
私は今後どのような意識で生活していけばいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
当面は自分を見つめ直す事に集中する
こんにちは。
「先日、ペットを殺して」しまった、とあります。
あなたは、何故「殺して」しまったのでしょう。
その理由を次のようにあなたは書いています。
「箱に入れておかなかった意識の低さ」
「荒っぽく扱えば死ぬという意識が薄れていました」
それもあるでしょう。
私はハムスターを飼っています。
時々、外に出して散歩させる際、すばしっこく動き回ります。
しばらくして、籠に戻そうと両手ですくい上げようとしたり、呼びかけたりはしますが「足の下に敷くようにし」たりはしません。私の感覚からすれば、あなたの発想と行動自体かなり違和感があります。命に対する、ぞんざいな心と振る舞いを感じるのです。
あなたは、日ごろからこの動物に対して、今回の行動に近いことをしていたのではありませんか。だから、今回のような事態に至るべくして至ったのだと想像します。
人間は、誰しも煩悩という自己中心の心で生きています。
その自己中心さに、鈍感であればあるほど、身勝手な振る舞いをしても何も痛痒を感じなくなります。だから、あなたは、檻に入れてなかった、扱いが荒かったということ以上に、根本的に自分の都合、自己中心の心への気付きの浅さがあるのではないですか。
煩悩とどう向き合うべきか、その道筋が見えない限り「もう一度ペットを飼いたい」というのは早計でしょう。あなたは、自分を自分で見つめ直すとともに、仏様から見た自分を見直す必要があると思います。あなたの宗派が分かりませんが、自分のお家のお寺さんにお話を聞くなり、このハスノハで引き続き質問するなりしてしばらくは時間を置いた方がいいでしょう。
きちんと埋葬して手を合わせましたか。
しばらくはその場所なり、お家のお仏壇なり、近くのお寺でも良いから手を合わせ、時間を見て仏様のお話(法話)を聞くことを勧めます。