愛犬の死
先週末に愛犬を亡くしました。
週末は義母を温泉の一番風呂に連れていくのが夫婦のルーティンになっており、その日も行けるよ。と義母に伝えていました。
夜泣きをして体調がよくなさそうだった犬のオムツ交換の際、酷い出血があり、「朝一で病院に行ったほうがいいかな?温泉に行くと伝えてしまったけれど」と夫に相談したところ、「温泉の後でもいいんじゃね?」と言われ、犬も夜通し鳴いていて眠そうでもあったので、その時できる処置をして様子を見ることにしました。
お昼にもう一度見て、朝と状態が変わっていなかったので、夕方からの診察に行くことにしました。診察に行く際、犬の体から力が抜けていて、車の中では息も絶え絶え、診察台にあがったときは先生に「亡くなっている」と言われました。
亡くなって数日、寿命だったんだ、と受け入れている自分がいますが、あのとき犬の診察よりも義母の温泉を優先させるような、犬の命を軽視したような発言をした夫に怒りがわいてきます。
朝一で病院に行っていても結果は同じだったのかもしれませんが、なぜそこで「私がすぐに連れて行く!」という風にならなかった自分にも腹が立って仕方ありません。
週末が来て、義母の温泉通いは続くと思いますが、義母を温泉に連れて行くたびにこのことを思い出して嫌な気持ちになってしまいそうです。
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わんこも成仏します。
愛犬を失ったばかりのあなたの心痛をお察しします。そして、その悲しみの中でいろいろと思いが渦巻いていること、非常に辛い状況だと感じます。そして、愛犬の最後の瞬間に対する後悔と、ご主人や義母さまへの苛立ちが入り混じっている今の状態、私は深く共感いたします。
愛犬はあなたにとって家族同然の存在であり、その存在があなたに与えた喜びと癒しは言葉では尽くせません。亡くなった愛犬に対する思い出が溢れ、後悔や怒りに変わってしまうのは自然なことです。それは、あなたがどれほど愛犬を大切に思っていたかの証でもあるのです。
まず、あなたの痛みを正直に感じて良いのだということをお伝えしたいです。涙を流すこと、怒りを感じること、ときには自分を責めることさえも自然な感情です。その感情を無理に押し殺すことなく、しっかりと受け止めることは大切です。
ご主人の発言に対して怒りを抱くことも、また自然な反応です。その場でどうするべきだったのか、後から考えれば数多くの選択肢が見えてくることもあります。しかし、その瞬間、その状況で最善と信じて行動した結果が、今の現実となっています。ご主人もあなたも、その時点では精一杯の判断をしていたのです。そのことを理解して、自分自身を少しずつ許していくことが大切です。
義母さまの温泉通いが続くたびに、愛犬のことを思い出してしまうかもしれません。その感情も抑えようとせず、受け入れていくことが必要です。それが愛犬の思い出を抱き締めることでもあります。そして、義母さまやご主人に対しても、自分の気持ちを率直に伝えることが、感情の整理に繋がるかもしれません。「愛犬のことを思い出してつらい」という気持ちを共有することが、彼らとの新たな理解の糸口になるでしょう。
今は愛犬と過ごした幸せな時間を思い出し、その思い出が支えとなるよう心に留めてください。愛犬はあなたの心の中で生き続け、その温もりは決して消えることはありません。そのぬくもりが、これからのあなたを支えてくれることでしょう。
もし心が辛くなったときは、自分一人で抱え込まず、誰かに話すことで少しでも心を軽くしてください。あなたの心の癒しを心から願っております。
ちなみに、無量寿経と言うお経には犬も成仏すると説かれていますからあなたの愛犬も安寧の世界に往生したことでしょう。
質問者からのお礼
宮本様
私の想いに寄り添ったお返事をいただき、ありがとうございます。
週末を迎えるたび、あの日のことがフラッシュバックしてしまい、後悔と自責の念にかられ涙してしまいますが、抑え込もうとせず受け止めていこうと思います。
ただ、義母や夫に角が立たないよう自分の気持を伝えることは難しく思えます。分かり合えないな、と諦めてしまっている自分もいます。
私の怒りや後悔で何かが変わるわけでもないし、愛犬自身そんなことを望んではいないように思えます。
とりとめのない文章になってしまいましたが、愛犬の成仏を一番に願い、辛い週末ですが過ごしていけるといいと考えております。
本当にありがとうございました。