人を嫌いになるという苦しみ
姑と同居を始めて5年程過ぎました。
姑は84歳。歳相応の物忘れはありますが、認知症等はないようです。
別々に暮らしていた40年と言う歳月を、各々のスタンスで生きてきて、価値観も概念も違っているのは仕方がないと思います。
嫁に来た立場なので、なるべく合わせようとしました。
例えば、私の育った教えでは、“開けたドアは閉める”(特に暖房や冷房を使ってる部屋) 。
“冷蔵庫も、食器棚も開けっ放しにしない”
当たり前の事がやれていない・・私が『(暖房が)もったいないよ』と声かけながら閉めたりしてきました。
そうやって、この家はやってきたのだから、と諦めもしました。
また、誰もそうだと思いますが、とても、自分が大好きで、息子に甘えてばかり・・
介護の仕事をしている私からしたら、日中ほとんど動かずテレビの前でゴロゴロ🌀家事は殆どやりません。
私が退院してきた時も、テレビの前。夕食なども作る(手伝う)つもりもないです。
こんなことしてたら、何もかも出来なくてなる、筋力低下しちゃうよと伝えても『そうだね』とだけ。
自分にとても、甘い、息子にすぐ言いつけて庇ってもらう。等々。
ここに書いていて、自分でも『そんな小さな事・・』と思う位小さな事なんです。だから、姑の悪口ではなく、小さなストレスが今や巨大になりすぎて、姑に対する嫌悪感、憎しみのような感情が膨れ上がってきてしまって、毎日とても、苦しいです。
もう、正直、顔も見たくないんです。声も聞きたくないんです。
存在を感じたくないんです。
何て嫌な人間なんだと、自分を攻めたり、姑憎んだり・・・。
毎日、つらいです。
どういう風に、頭を、心を切り替えたらいいのでしょう。
何度も、これじゃいけないと、心開いて話そうとして、話もするのだけど、どうしても、嫌悪感が消えてくれません。
苦しいですね。
何をどう治せばいいのでしょうか?
私の心一つなのでしょうが、それができません。難しいです。苦しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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よかれと思って、言ってやる。
よかれと思って、やってやる。
しかし、この「よかれ」の基準は、結局は自分のモノサシでしかありません。姑には姑なりの「よかれ」があり、それがどんなに非効率で非合理的そうに見えても、それをどう引き受けるのかは姑本人の課題であって、あなたの課題ではありません。
"自分でも『そんな小さな事・・』と思う位小さな事"
いのちの危険や誰かが深刻な損害を喰らうような大ごとならいざ知らず、小さな事なら尚更、いくら身内でも他者の課題に介入するのはやめましょう。
あなただって、自分なりに築き上げてきた家事のやり方など、自分の流儀にいちいち口出しされたら鬱陶しいでしょう?
質問者からのお礼
ご回答頂き、ありがとうございました。
私自身体調崩して、入院。自宅療養となり、休職し家にこもる事になってしまいました。つらい日々でつい、姑に目が行ってしまってた気がします。
そうですね、姑には姑の流儀があってのことですね。
考えを改めようと思います。
ありがとうございました。