人の不幸を願う自分がいる
私は海外サッカーが好きですが、自分の応援しているスペインのエスパニョールというチームが昨季2部に降格しました。そのチームのライバルチームがあのFCバルセロナなのですが、私は当然嫌いであり、(バルセロナは世界中にファンがいますが)今季そのチームがスタートダッシュに失敗しここ20年で最悪の序盤を戦っている様子を見て、ざまあみやがれ、人をばかにした天誅が下ったんだぜ、と思ってしまいます。また、それとは別に今はコロナが流行っていますが、嫌いな人がコロナにかかってえらい目に遭わないかな、などとも本気で思ったことがあります。このように、人の不幸を願うことは醜いことであり、最悪な人間になってしまうのでしょうか。
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自分の心が揺らぐことなく、平穏であること。それが幸せです。
ご質問ありがとうございます。
エスパニョールのファンなんですね。
歴史と伝統あるクラブです。
オーナーの交代からややうまくいかない状況であるとは聞いてますが、セグンダ・ディビシオンの2位につけていますから、おそらく一期でラ・リーガに戻るでしょう。
これが私の予想です。
同じ地区のライバル、バルセロナに対する感情は理解できます。
しかも、降格が決まった試合がバルセロナとのダービーマッチでしたね。
かく言う私はレアルマドリード推しです。
バルセロナの低迷というよりは、ラ・リーガ全体のレベルが安定してないようで、そちらのほうが気になりますね。
会長がしっかりしていればクーマン監督を解任しているところでしょうが。。。
上位にいるとはいえレアルマドリードも盤石とは遠いようで。
ラ・リーガは世界最高のリーグであってほしいと願う私としては少々不安定な日々です。
人の不幸を願うこと。
お釈迦さまは
「世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れを離れ、安穏であること、これがこよなき幸せである」
と説かれております。
どのようなことがあっても、自分の心は揺らぐことなく、平穏であること、それが自分にとっての幸せである。
人がどう、他がどうというよりも自分がどうなのか。
人も幸せになりたいと願っています。自分と同じように。
他のチームも勝ちたいと願っています。
昇格したいと願っています。
優勝したいと願っています。
私はどのような状態であってもレアルマドリードが上位であることで満足します。
エスパニョールが昇格圏内で、無事昇格できることを願います。
ただそれだけです。
昇格してダービーマッチでリベンジしてもらいましょう。
その時を願って。
応援しましょう。
質問者からのお礼
そうですね。応援するしかないですね。