後悔や未練を超えて次へ進むために
一ヶ月前に数年付き合った彼氏に
振られてしまいました。
私の抜けてる性格も受け止めてくれる価値観の合う自分の半身のように大事な大好きな彼氏でした。
三ヶ月前程に、彼から結婚を前提に同居しないか、仕事は辞めてもいいから。と言われていたのですが
何日か迷った末に今の時期に仕事を辞めるリスク、転居による職場への通いにくさや発達障害であることの不安を打ち明け
今すぐに決めるのは難しいので少し待ってほしいと正直に伝えた所それ以来態度が少し冷たくなり別れ話に至りました。
私は泣きながら一度は別れ話を受け入れたものの彼を諦められなかったので日にちを開けて話を続けた所
彼は実は付き合った当初から二股をかけており、私が結婚の話を渋った時点でもう1人の子に結婚話を持ちかけてみた
すると即座にokを貰ったのでその子と結婚をする。
あの時すぐに結婚を決断してくれていたら貴方と結婚を決めていた
と伝えられました。
直後から鬱と診断され、体調を崩した為数日間会社を休む程ダメージを受けました。元々会社での人間関係もさほど良くはないので休んで周りに迷惑をかけたため肩身が狭いです。
今は怒りは少し落ち着き、彼の事を忘れようとしたり次の恋愛に進みたいと思っているのですが
楽しい時のほぼ全てを彼と過ごしていた為生活の至る所で彼との事を思い出して
あの時結婚を決めていればと後悔して泣いたり、もう一度あの時に戻りたいという未練がいつまでも続いています。
周囲の人にはそんな酷い奴のことを思う必要は無いと言われますが
本心から楽しく幸せだった時間を無かった事にするのは難しく
私の決断力の無さでその時間全てをふいにしてしまったのだという後悔や自分を責める気持ちが消えません。
このまま消えてなくなってしまいたいとも思いますが悲しむ両親や職場に迷惑をかけたくありません。
自分の行動への後悔や相手への未練を絶ち、乗り越えるためにはどうしたら良いでしょうか?
どうか、どうか助けてください
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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周囲が言う通り「酷い奴」
こんにちは、初めまして。
大切な人との別れに打ちひしがれているのでしょう。お察しします。
あなたは次のように言われています。「私の決断力の無さでその時間全てをふいにしてしまったのだという後悔や自分を責める気持ち」がある、と。
私は今回のことについて「決断力」と呼ぶことに違和感を感じます。「決断」とは正当な、望ましい対象にこそ使うべき言葉です。むしろ、彼の勝手なご都合に合わせた選択をしなかった、という方が正しい表現ではないでしょうか。
あなたは、「楽しい時のほぼ全てを彼と過ごしていた」の言葉の通り、彼との絆にかけがえのない意味を言い出して、かつこの生活がずっと続けばいいと望んでいたのでしょう。あなたの切ない気持ちが伝わってきます。
しかし、「その時間全てをふいにしてしまった」のはあなたではありません。彼の方です。「仕事を辞めるリスク、転居による職場への通いにくさや発達障害であることの不安」を受け止めて何とかして結婚のたどり着こうと決断すべきが彼の為すべきことです。
しかし、それどころかそのような「不安」を持ったあなたに早々と見切りをつけて、もう一人の女性の方が条件が良いと判断したのでしょう。こんな手前勝手な、人を値踏みして両天秤にかけ、情け容赦ないご都合主義がありましょうか。周囲の人が「そんな酷い奴」というのにも全く同感です。
「酷い」決定を下したのは彼であって、あなたではありません。全く自分の責任ではない「後悔」や「自分を責める気持ち」は段々と手放して行くほうが良いと思います。
そして、あの人は周囲が言うように、そして上記の意味で「酷い奴」なのだと納得する。そして、これを教訓に次こそは、と気持ちを切換えて行くことに今のあなたの方向性があると思いました。
こんにちは、らいさん
はじめまして、北海道白老のはくりょうと申します。
らいさんのお悩み、読ませていただきました。
良かった良かった~!
これでまた一つ「真」と「優」の経験値が得られ、大きく成長できましたね。
…お付き合い当初から、何とも言えない違和感を感じておられたのでは?
あたまの良いらいさん。たとえ価値観が合ったとしても、たましいの奥底でうすうすわかっていたと感じられます。
ですが、幸せな時間を過ごせていたのもまた事実。むりに忘れてしまう必要もないでしょう。今のらいさんの怒りも後悔も未練も、そしてその涙も、すべてがらいさんのたましいの成長の糧となるのです。
ご自分を責める必要は微塵も有りません。らいさんの、心の深い深い所にある、深層意識のさらに奥、(これを仏教では第八阿頼耶識とも申します)あなたのたましいがその男を拒絶してくれたのです。頭で考えるより、時に正確に真実を見抜ける力があるのです。
これは心優しきらいさんの、大きな財産です。ぼくのような半端坊主よりよほど前世で修行をされたのですね。
もう一つ!そういう前世の徳のある方は、現代の世では少し生きづらく感じたり、周囲ともなじめなかったりすることが少なからずあるようです。
学者さんの考えた、分類や型、障害などはあまり気になさらないでください。
らいさんはその優しさと真実を見抜く力を忘れぬ限り、道にそれることなく明るい未来が待っているようです。
らいさんとご家族のご多幸をお祈りいたしております。
はくりょう拝
質問者からのお礼
はくりょう様
回答ありがとうございます
やはり私の正直すぎる所や優柔不断な所は生きていくには少し難しいのですね。
今は沢山のことで辛いですが良い未来に繋がる為と思い、耐えて頑張りたいです。
釋 悠水様
ご回答ありがとうございます
頂いた言葉を読み返す度に涙が出ます。
私はこの先不安な事を彼に話し、一緒に不安を取り除いていけると期待をしていたのかもしれません。
全く私の責任ではない、と言い切って頂けた事に少し救われたように思います。
これから『酷い奴』だったという事に納得し、後悔や未練が薄まるように無理なく動きたいと思います。