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有り難し有り難し 6

過去の歴史を振り返っても世界は常に様々な事がある。
争いや災害などなくなる事など決して無い世界で、その時代時代で、人は悩んで、苦しんで、喜んで、楽しんで、悲しんで、嘆いて、様々な感情を抱えながら、それでも人は今を生きている。生かされている。生きていけない。生きるのをやめる。生かしてくれない。様々な状況がある。

生きる事が怖いです。
死ぬのはもっと怖いです。
大切なものを無くす不安、恐怖、悲しみを味わいたくないです。
自分は死にたい訳でもありません。
大切な人に悲しみを与えたくないから。
だけど、いつも、、、。わからないです。
他人を羨んだり、自分を自慢したりもしません。
何かを望んでいる訳でもなく、いつも自分の心は真ん中にあってほしい。
なぜなら様々な出来事に自分の感情が揺れるのが怖いから日々を精一杯生きてるだけです。
それでも年齢を重ねて感動が薄れていく気がします。
けどいつか必ず来る悲しみを味わうのはもう嫌です。

今の世の中は物が溢れているところもあれば、その日その日を食い凌ぐので精一杯のところもあります。
あればあるほどいいとは思いません。
無ければ無いでこした事はないけれど、全く無いのは虚しいです。
モノや感情も同じ事で、自分にとってちょうどいいを見つけて、探して、見失ってその繰り返しです。
豊かとは何か?頭で考え、心で感じ、身体で実感する。
人生はそれの繰り返しで、過去の思い出をふと振り返り愛され、悩み葛藤し、肩を寄せ合って生きてたあの頃が懐かしく愛おしく思います。
今が不幸せという事ではありません。
十分に幸せだと思っています。

救いの言葉を下さい。

自分はどうやって生きていけばいいでしょうか?

よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「生を明らめ死を明らむるは一大事の因縁なり」

アーサーさま

「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」

道元禅師の「正法眼蔵」における言葉であります。

仏家=修行者のみならず、当然に皆においても「生死」は「一大事の因縁」であります。

「生きること」とは何か、「死ぬこと」とは何か、そこを見極めていく。

一方、仏教においては、「不生不滅」という言葉も般若心経などにて説かれる大事な教えとなります。

簡単には、「生じない、滅しない」、「生もない、死もない」ということです。

当然に、混乱してしまうでしょう。

では、自分の生、死は無いのか・・

もちろん、そうではありません。私や貴方さまは、現に生きていますし、またいずれは死にもするでしょう。

では、私たちの生、死、モノ・コトの正体は何であるのか、そこを見極めることが求められるところとなります。

そのヒントが仏教にはたくさんあります。

例えば、「空」や「縁起」という考え方となります。

是非、仏教から答えを見い出していって頂けましたら有り難いことでございます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

この生死は仏の御いのちとは、、、生きてるようで生かされてるという感覚なのか、因果応報や原因と結果というような理解でいいのでしょうか?
理解するという事は自己の感覚になってしまうので仏の御いのちという事を、今、生身の人間として生きてるうちに自己の観点で理解していけばいいのでしょうか?
それが解れば楽になれる事でもないと思いますが、精一杯生きてみようと思います。
また、解らなくなったらご相談させて下さい。

ありがとうございました。

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