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父の死の受け止め方について

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有り難し有り難し 13

先日、父が亡くなりました。まだ60代でした。

元々、滅多に風邪もひかない人で、体調が悪いと言い出してから数日で倒れ、心筋梗塞と重度の糖尿病が発覚して入院し、手術の予定日の朝に突然、呼吸と心肺が停止しました。

父は、あまり自分の話をしない人でしたが、母から聞いていた限りでは、辛い経験を幾度となくしてきたようで、それらを父はいつも独りで抱え込んで、弱音を吐くこともなく耐えてきたのだと思います。さほど強い人ではないので、そのせいか少しひねくれてしまったところもありますが、頑張り屋だったのでしょう。

体のことも、入院時には主治医から「よく生きて病院まで辿り着いた」とまで言われたほどなので、実は随分前から体調は芳しくなかったのだと思います。そんな様子は全く見せてくれなかったので、私たち家族には正に『青天の霹靂』で、あれよあれよという間にいなくなってしまったという感覚です。

母と弟には、非常に大きなショックだったようで、時折放心したようになったり、色んなことを悔いたり、「早すぎる」と泣いたりしています。

私はというと、悲しくないわけはないのですが、どこか腑に落ちたというか、納得してしまったような感覚なのです。

父はさほど強くもないのに、これまで多くの苦難に独りで耐え忍び過ぎたと思います。
そしてこれから先、母を看取ることや、自分が寝たきりや要介護になることは父にとって、この上なく耐え難い苦痛であり、それを避けられたことは、父にとって決して悪いことではなかったと思えてしまうのです。

これは私自身の死生観ですが、生き抜いた先に穏やかに眠れる場所があるなら、それは『救い』だと思いますし、私もいつかそこに辿り着けることに安堵感すら抱いています。

体から解放された父はこれからは、痛い思いも苦しい思いもせず、誰かに傷つけられたり、辛い思いをしたりすることもなく、『楽』になってくれているように思えるのです。

なので、母や弟のような悲しみ方が私には出来ず、このまま日常にスっと戻れてしまうようなのですが、周りとの温度差がありすぎて、これは私がまだ悲しみを実感出来ていないだけなのか、それとも私の感覚が少しズレているのかと考えてしまいます。

私のこの感覚や考え方は、特殊なものなのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

亡き人と共にあるということ

ご相談拝読しました。お父様のご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。

あなたの死生観やこの度のお父様の死の受け止め方は深く素敵なものであると思います。一方でご家族の受け止めもまた、人間としての恩愛の絆を感じるものであり、ごく自然なものであるとも思います。

そのどちらが正解とか不正解とか、特殊とか普通とかはないのでしょう。どんな受け止めもその時のその人の事実です。その人もそう受け止めようと思ってそのようにできたわけではなく、その時の縁の中で自然と湧きあがった感情や考えなのでしょう。

そしてその時感じたものは未来永劫にわたり不変なものである必要はなく、きっと変わっていくものでしょう。

ご家族が悲しみを昇華して温かな受け止めに変わる日も来るかもしれませんし、あなたが深い悲しみの底に沈む日も来るかもしれません。それもその時の縁です。

そしてその変化はどれもお父様の死という一つの変わらない事実が残された者にはたらきかけて生じるものです。そこにお父様とこれからも共にいるということが成立するのでしょう。

おっしゃる通り亡き人は身と心から解放され、縛りのないものとして安楽な境地にいるように私も受け止めています。それは逆から言えば生きている私たちは死ぬまで自らの身と心に縛られていくということです。

そのことを教えてくれるのは他でもないお父様です。もっと言えばお父様の仏様としてのはたらきです。

人間の感情としては悲しみや寂しさや不安が尽きずとも、仏様としてのお父様のはたらきを自覚したならば、たんにそうしたものに終始せず、より深い受け止め方に導かれるのかもしれません。

お父様のはたらき・導きと、残されて生きるものの自分の姿の自覚は表裏一体です。つまり、ご家族やあなたを離れてお父様はどこか安楽な境地にとどまっているというのでなく、そうしたところから皆様の現実の苦の中に飛び込んで共にいてくださるのでしょう。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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大丈夫です。

宵空さんのお父様のご逝去にご冥福をお祈り申し上げます。

お父様のこと、ご自身は大変であったと存じます。
私と同じ年代かと存じますので、それはそれでご苦労もたくさんあったかと思います。しかも重度の糖尿病であれば、他の病気を発症すると、その病気もさらに悪化することは多々あります。通常は、まず糖尿病を治すことから治療は始まりますのが、お父様の症状は一気に進んでしまったと思います。医師がよくここまで辿りつけたと言われる位に病気は進んでいたのでしょう。
「自分が病院へ行くときは最後だと」、本当にそのような方も少なくありません。

さて、お父様のご逝去に対しての心の動きを、宵空さんは心配されていますが、私はそのような考え方も悪くないと思います。又、亡くなられたご家族にもこのような内容の法話をする時もあります。

今は、お父様の死を受け入れておられるでしょうし、この先もと思われるかもしれませんが、ある時、突然の悲しみが襲ってくる場合もあります。
そんな時は、おもっいきり泣けばいいのです。
まずはご冥福をお祈り申し上げます。

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有り難し
おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
この先、自分の心境がどう変わっていくのか分かりませんが、残された者として、その時あるがままを受け入れて行こうと思います。
ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ