無くしたものとの未練が断ち切れません
先日、買って一ヶ月ほどしか経っていないair pods pro(アップル製のノイズキャンセリングイヤホン)を無くしました。とは言ってもケースのみを無くしました。ほんとうに、居住スペース(ちなみに寮生活で、周りの人にも手伝ってもらいました)をくまなく探しても見つかりませんでした。最後に可能性としてあるのは、誤ってトイレに流したか、ゴミ箱(これも一応漁りましたが)に捨てたか、誰かが悪意で盗んだか、ぐらいのものです。無くした、というよりは消えた、神隠しに遭ったと言った方が自分にはしっくりくるぐらい、不思議でたまりません。
だいぶ日が経ち、探すのはとっくに諦めたのですが、それでも無くしたものに対する未練が断ち切れません。見つかったらどんなにいいだろう、あの日に戻って無くさないようにできたらと、つい考えが堂々巡りしてしまいます。せっかく買ったのになぁ、もったいないなぁと言う気持ちや、イヤホンのケースという目的を持って生まれたものに対する申しわけのなさ、間抜けていて、恥ずかしいという気持ち、誰かが悪意を持って、困らせるために盗んだんじゃないかと言う疑心暗鬼の気持ちが混ざりあい、困惑しています。どこを探しても、どこにもない。無くしたはずはないのに、無くした。まるで世界に拒絶されたような、不条理の狭間に迷い込んでしまったような感覚です。もちろんイヤホンのケースをなくしたぐらいのことは、周りから見ても、自分から見てもくだらない、どうでもいいことなのですが、「くだらない」、「どうでもいい」という風に体良く片付けられず、引きずっています。
どうしたら未練を断ち切れるかと悩んだ末に、「諸行無常」や「色即是空」の言葉が自然に思い浮かんできました。だからと言うわけではありませんが、この出口のない悩みの解消に仏教の専門家のお力添えを頂きたく存じます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
経験は悲しみや辛さを生むが、だからこそ一瞬の大切さにも気づく
大切な人や ものをなくした時に起こる深い悲しみ、喪失感ですね。グリーフと言います。
人生の中では、誰しもが経験することですよね。移り変わる世ですので、別れもあるし、失っていくものもあるわけです。
その経験は、悲しみや辛さを生みますが、だからこそ今一瞬の大切さにも気づく。
自分にとって、これほどのものだったのかと、その存在の大きさを改めて知り感じるのですよね。
そうしながら、人は、周りの関わりやサポートを受け、向き合い 乗り越え、経験値を積んでいく。
自分の中で、納得、落とし所を見つけていくのです。
気持ちの解決ではないけれど
気持ちや考え方について、既に中田師がお答えですが、一応メーカーの方に尋ねたところ、ショップのジーニアスバーで買えるようです。
それはさておき、「大切なものを無くしてしまった」というショックは私も経験があります。もちろん気をつけて使っていたのでしょう。自分を責めるのも分かります。けれど、ある程度時間をかけなくては解決に至らない問題でもあります。
「買ったからすぐ気持ちも解決」とは思えませんが、ペットの喪失に似て、「日常が変われば心持ちも変わってゆく」というのも、また確かなことです。一期一会と思って、丁寧な暮らしが送れると良いですね。
質問者からのお礼
お言葉ありがとうございます。無くしたというショックと、なによりも自分の中で疑心暗鬼が大きくなってしまっていました。もう一度出来事と自分の心を見つめ直し、平穏に暮らせるように心がけていきたいです。