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独りで生きる事について。

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

いつも暖かいお言葉ありがとうございます。
私は付き合いの濃い、薄いに関わらず、やはり誰かと揉めずに繋がる事が
上手くできません。
学習能力が低い、と言われたら確かにその通りで、自分フィルターを通して
どうしても物事を見てしまいます。
世間から見たら良い大人なのですが、後から思うと、その言い方はまずかった、
他の言葉を選ぶべきであったとかがほぼ常にあります。
自分の考えや思いを人に伝えるべきでないのだ、肯定しかありえないのだ、とまで
考えてしまいます。
勿論それは極論であって、正しい人付き合いをするにあたっては間違えた
考え方だとは自分でも分かっています。
それでも言葉に出来ない苦しみがあり、常にどんな考え方をしたら、
何をしたらいいのか分かりません。
表面上の会話ですら、何を喋ったらいいのか、それすら分からなくなりました。

それだったらもう、人と心を通わせる事を諦めた生き方を選んだ方がマシなのでは
ないかと思ってしまいます。
仏教的には、否定する考え方だろうと思いますが、出来ない自分が可能な限り
他人様へ迷惑をかけたくありません。
今も質問を打ちつつ、この表現は言いたい事が伝わらないかも、とか何回も打っては
消しつつ書き込んでいます。
人付き合いは一瞬の判断が必要で、尚且つ分かりやすく相手に伝える、言葉、文章を
考えないといけない為、人と喋るとすごく疲労してしまい、家に帰る事すら困難な
事があります。

社会は私のような人間は受け入れて貰えない、だから自分を成長させ、変えなくては。
そんな焦りが有ります。
向き不向きが当然ありますから、ある程度は仕方ない部分はあります。

無理に付き合って自分を出さず孤独に生きるのか、それとも
ありのままの自分でいて、人から嫌われて生きるのか?

そこまで追い込まれています。
仏教では相手に思いやりを持ちましょう(超意訳)と説かれていますよね?
想いやりを持てない私は独りでいた方が少しでも迷惑をかけるリスクを減らす
事が出来るのではないか?と考えてしまいます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

思いやりを持てているから、こうして悩むのではないかしら。

思いやりを持てているから、こうして悩むのではないかしら。思いやりがなければ、何も気にならないだろうし、勝手な振る舞いのまま 悩むこともないでしょう。

このハスノハを知り、悩みを言葉にして、どう変わっていけばと、もがいている あなたは、思いやりを持てる人だからよ◎

平気な人なら、悩まず苦しくもないだろうね。
でも、悩んででも変わっていきたいと努める あなたは、それだけでも成長よ◎

ただ、それが、上手く相手に行動として伴わないだけ。もどかしいよね。

迷惑をかける。それに気づいたら、
ごめんね〜気づかなくてと伝えたらいいと思うわ。

また、揉めてしまうのであれば、どうしたらいいのかな?なぜ相手はそう言うのかな?ってワンクッション置いて考えてみましょう。

上手く言葉にならなかったら、後で文字にしてメールでもお返事したらいいのだし、感情は少し時間をおくほうが冷静になれるわ。

思いやりを持てないから一人で生きると、決めてしまうには、寂しいよ。
ここでだって、こうして繋がっているじゃない。一人じゃないのだから。

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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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ひとまずは立ち止まっていいと思います

拝読させて頂きました。
あなたの文章を読ませて頂きました。その中で感じたことを書かせて頂きますね。あなたがそのように人に対して発言してしまうことはあなたに限らず皆さんよくあることだと思います。あなたも今心の中ではあれこれ考えていらっしゃるでしょうし、大変不安を抱えていらっしゃるように感じます。
その源泉は何でしょうか?
私が最近感じることは社会も世界も目まぐるしくなりすぎてしまい全く余裕もゆとりもなくなってしまっているように感じます。ましてそのような中では何の確証や根拠もないのにいろいろな噂やデマに振り回されてしまい右往左往してしまい余計に余裕がなくなってしまっているように感じます。
そのような中にあってはゆっくりと人の話しや意見を聞くこともできませんし、例え聞いたとしても自分なりに受けとめてじっくりと考えてみて、それから自分なりに答えを導き出していくことができなくなっているように感じます。
何でも即座に反応して対応することが求められているように感じることは世の中ありますけどもそれは幻想です。
あわてて脇目も振らずに答えていくことで見落としていたり或いはものごとの本質や言っている人の真意を推しはかることができなくなってしまっているように思います。それにより多くの間違いや勘違いや思い違いがおきてしまい人とのコミュニケーションもどうしても一喜一憂してギクシャクしてしまいがちになってしまいます。
ですから私達全てのものがそのことに気がついていく必要があるのです。
仏教は中道をしっかりと歩んでいくものです。どちらにもかたよらないでバランスよく見聞きうけとめていき、しっかりと考えて発言し行動していくことが求められていくのです。
どうかひとまず立ち止まってみて「脚下照顧」を心がけてみて下さいね。
あなたを心より応援させて頂きますね。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

Kousyo Kuuyo Azuma様
またのご回答ありがとうございます。
身内でも、最近は何を話しかけたらいいのかわからなくなっており、用件のみ
の会話しかしておりません。
会話をしない為か、相手が何を言っているのか理解できない事が度々あります。
常に自分の考え・気持ち等が次から次へと沸いてきて、文章ではなく、
単語のみが浮かび、頭の中を回ってかき乱している感じです。
そのため、いざ返事をしようとすると、言葉が出てこないのです。
自分の思いだけではコミュニケーションは取れませんから、相手の思いを
受け止めようとする努力も必要だとは頭では理解しているのですが、中々
うまくできません。
もっと訓練しないといけませんね。
じっくり考える、人と会話していなくても、自分の思いや考えを文章化できる
ように心がけます。
中田様
またのご回答ありがとうございます。
思いやりというより世間一般的にこうしたほうが印象が良いのでは?
と考えがちです。他の人もそういった側面はあるとは思いますが、
私はその一面が強いと思います。
接している相手の事を本当に思いやっているか?というとそうでないと
感じます。
相手に迷惑をかけた時に、きちんと謝れていないと感じます。
トラブルになった時に更に迷惑をかけないように、上手な謝り方を習得
したいです。
相手が求めていること、くみ取ってほしい気持ちをもっと考えられるように
なりたいです。

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