人生は難しいと感じ。
ボツと申します。
人生にほとほと疲れ、やり直ししたいと感じます。
教育費、ローン、介護者、今後の妻と私の心身の事、年齢、仕事での失敗等の不安等、落ち着かせたいものの、作今のコロナ世情も反映し転職等も難しく、日々の家族の会話もないため、私自身の疲労も抜けず解放されたい日々。毎日ぐったりの日々。自分自身の体調もすぐれず、心技体のバランスも崩れてしまって来ています。仏様のお言葉、教えを頂き活力を頂ければと思い質問致しました。宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
経教はこれを喩うるに鏡のごとし
ご相談拝読しました。日々のお仕事に介護、そしてコロナ禍…誠にお疲れ様でございます。
>人生にほとほと疲れ、やり直ししたいと感じます。
というお気持ちは分かる気が致します。私もそのように感じてしまうことがあります。
しかし「やり直したい」という時、もしかしたら私たちは自分自身の今に責任を持てていないのかもしれません。今ある状況は自分の行いと無関係に存在するものではありません。
もちろん全て「自分のせい」というのは逆に傲慢ではありますが、しかし自分の言動・選択と微塵も関係のないものはないのでしょう。
>人生にほとほと疲れ、やり直ししたい
>解放されたい
と思う時、自分は一体どんな姿をしているでしょうか。何かのせいにしたり、あるいはいたずらに自責自罰したり、妄想に逃げ込んだりはしていないか。
自分の心の煩悩をこそ場としてはたらいてくださるのが仏様の教えです。悩み苦しむ時、共に仏様の教えに出遇い、自分自身に出会っていきましょう。
さて、人間以外の動物は生きるのを難しいと感じるでしょうか。おそらくそれはないのでしょう。それは常にありのままを受け入れて今を生きているからです。ケガをしてもケガをしたなりに、狩りを失敗しても失敗したなりに、老いても病んでもそれなりに生きています。
生きるのが難しいのは「人にとって」なのでしょうね。それはただ生きるだけでなく、「思い通りにしたい」という自分の煩悩に振り回されて生きるのが人間だということです。
本当の意味で「解放される」というのは悩みが思い通りになくなることではありません。自らの悩みを引き受けて生きる者となることです。死ぬまで悩みは尽きないのですから。
昔の中国のお坊さんの言葉に
「経教はこれを喩うるに鏡のごとし」
とあります。仏様の教えとは自分では気づくことのできない自分の姿を鏡の如く映し出して知らしめてくださるものです。
質問者からのお礼
ありがとうございました。頑張りを示してみます。