10年以上前に他殺された母親に会いたい。
もうかなり前のことになりますが、身内の一家心中未遂により母親を亡くしました。
事件直後からしばらくは、心から尊敬していた、加害者となってしまった身内の変わり果てた姿と、思春期特有の衝突を乗り越えてようやく人間同士として関わり始めていた最愛の母との突然の別れに頭の中がぐしゃぐしゃになりました。
それでも、両親が応援してくれていた夢に向かい立ち止まるわけには行かない一心で、また、共に強いトラウマを受けた弟の頼れる兄であり親代わりになるべく、ガムシャラにここまで走り続け、仕事の面では今ではそれなりに少年時代に思い描いていた立場になりました。
しかし仕事の性質上、どうしても日常の中で考えてしまうのです。
最愛の両親を守れなかった自分が、他人様のために昼夜問わず身を粉にしている虚しさを。その場では必死にやりながらも、どこかその姿を冷めた目で俯瞰で見ている自分がいるのです。「お母さんを死なせたくせに。この道に進まなければきっとお母さんも今は生きていたのに。結局ここまでの道のりは全て単なる自己満足でしかないじゃないか。」と。
このような日々が続いて今更、30過ぎにもなって情けなくもお母さんに会いたくて仕方がないのです。自分の頑張りを親に認めてもらいたいという幼稚で卑しい願望から来ている気持ちである事は理解しているのですが。
自らも親となったことではじめて親の愛情の深さを知り、尚更今の自分の姿、孫の姿をどうしても見てもらいたくて寂しくて切なくてたまらないです。
どれだけ人様から見て成功して見えようとも、この後悔と自責の念を抱えてあと数十年生き続ける事が辛くて恐くてならないのです。
子供たちが誇りに思える父として、この先も前向きに走り続けるために、どのようにこの深い悲しみと向き合えば良いのでしょうか。
夢を叶えたはずなのに、その代償にしたものが大きすぎて人生の虚しさが拭い去れない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
またいつでもhasunohaに相談して下さい。
一生懸命やっているのに、いつも、過去の罪悪感が出てくる。必死に頑張る自分を冷めた目で見つめるもう一人の自分が居る。私にはあなたの苦しみ・悲しみを想像しようとすることしかできませんが、思いも及ばないような苦しみだと思います。
そういう苦しみを抱えてよく頑張ったと言いたい。あなたは自分を責めているけど、苦しかったのは、お母様だけじゃない。あなたも一緒です。本当に苦しかったと思う。でも、こうやってここまで生きてこられたことに敬意を持ちます。
私が思ったのは、まず、少し時間をかけて、この問題に傷ついている自分をもう一度ケアしていく必要があるように感じます。少しお仕事を抑えてでも、この出来事の棚卸のために、プロによるカウンセリングを受けることをお勧めしたいです。
それほどに、あなたの抱えた傷は深いと思う。少し休んでしまったとしても。一時自分の問題の棚卸に専念した方が、後々そちらの方がいいと思うんです。僧侶の回答は千字の字数制限があり、ここで十分にあなたの問に答えることは難しいです。プロのカウンセリングを時間をかけてした方がいいと思うのです。
その上で、言いたいのは人間が生きるという事自体が本当に、苦しく厳しいものだという事です。仏教の歴史上にも、あなたと同じような苦しみを抱えた人が登場します。アングリマーラーや、親殺しのアジャセという青年等です。彼等の歩みを調べてみて欲しいです。
アングリマーラーは、師匠に騙されて人を1000人殺してしまいました。しかし、最後にお釈迦様に出会い。「もう、こんな生き方したくないのです。助けて下さい」と言います。アングリマーラーは、こんな私でも救われる道があるでしょうかというお釈迦様は「大地にひれ伏して泣け」と言います。彼は泣き続けました。お釈迦様は「人間にとって、最も大切なのは、懺悔するということなのだ。人を殺した事実は変わらない。だけれども、お前も私も同じく、どうしようもない人生を抱えた者なのだ。一緒に教えを聞いていこう」といい、彼と一緒に教えを聞き続けた。アングリマーラーは最後の最後に正気を取り戻したのです。あなたの悲しみは、とても私には癒しようがない。ただ、仏教の歴史であなたと同じ地獄の苦しみを抱えた人たちがあなたに、涙を流していると思います。そういう過去の先人に聞いていきましょうとしか、まずは言えません。いつでも相談して下さい。
『トラウマへのセルフコンパション』
dy 様 相談ありがとうございます。
過去のトラウマから、悲しみを抱えたままでいられるようですね。
でも、お母様はあなたの頑張りを喜んでおられるでしょう。
眼には見えなくても、心は繋がっています。
お母様があなたを見守っていると私は思います。
供養をする側とされる側。守る側と守られる側。立場が変わっても繋がりはずっと続くと思います。お母様に会いたいという願望は、繋がりを意識して傍に居るような感じを感じることで、イメージされていくでしょう。
そして、あなたがお母様を守られなかったというトラウマは、あなたがお子様に向けるような愛情を、自分自身に向けて振り向けることによって、心が癒され、そして、自分に思いやりを向けて、自分に寛容である時に、トラウマの記憶の感覚に変化が訪れるでしょう。
下記の本を紹介しますので、お忙しいとは思いますが、一読してみてください。
デボラ・リー、ソフィー・ジェームス著『トラウマへのセルフ・コンパッション』(金剛出版)です。
自分にコンパッションを向けることで、癒しや充足がおとずれます。そして感情のバランスが取れていきますので、生きづらさから解放されていくでしょう。
セルフ・コンパッション(自分い思いやり)を向けることで、
トラウマ体験からの不安や落ち込みや辛い感情を、落ち着きと平静へ導いてくれるでしょう。
参考にしてください
一礼
追伸:早速にメッセージありがとうございました。「母が亡くなった翌朝の温かい日差しを見て、天から見守ってくれているような不思議な温かい感覚を憶えた事」は、あなたのコンパッションに響いているでしょうね。その温かさやお母様から受けた優しさや愛情を自分に向ける事でも、癒されていくことがわかってくるでしょう。最初は思い出すことが辛く苦しいかもしれません、でも愛情に包まれていることを実感していくことによって、変化が訪れるでしょう。
コンパッションを育むことは、思いやり愛情と勇気と寛容さ、そして責任と強さも養うことになります。焦らず取り組んでみてください。安心安全がdyさんの心に宿るでしょう。再礼
質問者からのお礼
年始のご多忙中ありがとうございます。
自らへ愛情を向けるという感覚を全く持って持ち合わせておらず、大変に参考になりました。
当時の事は辛い記憶として長らく心の奥底に封じ込めていたのですが、母が亡くなった翌朝の温かい日差しを見て、天から見守ってくれているような不思議な温かい感覚を憶えた事を思い出しました。
教えていただいた書籍もぜひ一読させていただきます。
心より感謝申し上げます。