生きるのに疲れました。
初めて相談させていただきます。
6、7年前から日々、漠然と生きていたくない、消え去ってしまいたいと思いながら生きています。
なんにも無い自分が生きていていいわけがなく、早く居なくなった方が世のため人のためと思うのです。
けれど、些事ではありながら死ねない理由があるのでとりあえず生きているのですが、それを超える程の生き辛さ、生きにくさに日々苦悩しています。
とにかく他人の目が気になりすぎて、常に良い人を装うことに必死です(かくいう自分でも、"良い人"がどういうものかハッキリ分かっていないのですが)。
つまらない、約立たずと思われないように職場では常に気を張り続けて毎日くたくたです。
また、理想が高い割に自信や肯定感が全くと言っていいほど無いので、理想に追いつくために行動しようとしても、どうせ自分なんかがやっても上手くいかない、努力したって無意味だ、報われないと思って動けません。そんな自分に嫌悪し、自分は本当にダメな人間だと自責を繰り返して、不出来な自分と自分とは違い立派に生きる人達に嫉妬しては苛立って……。もう疲れてきました。
この先もこんな風に生きていくのかと思うと、早くこの人生を終わらせてしまいたいとばかり考えてしまいます。
どうしたら少しでも楽になれるでしょうか。
上手くまとまらず長くなってしまいましたが、まずはここまでお読み頂きありがとうございます。支離滅裂で分かりにくい点もありましたでしょうが、良ければ何かしらお言葉を頂けたらと思います。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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風吹けば鳴る風鈴のように
水眠木蓮さんこんにちは。
ご質問読ませて頂きました。
6、7年前から漠然と生きていたくない、消え去ってしまいたいと思いながら生きてこられたんですね。
それは大変苦しい事のように感じます。
しかしそんな気持ちを抱えながらこのサイトにご質問下さり有難うございます。
質問されたという事は貴方は今の気持ちを変えられる、変えたいというお気持ちがあるのではないでしょうか?
その気持ちこそ私は種だと思います。
>とにかく他人の目が気になりすぎて…
この気持ちはしんどいですよね。
勿論人の評価もある程度必要でしょうが人の目に映る自分がすべてではないですよ。
そうは言っても気になってしまう。2,500年前から人間にとって聴衆の目というのは恐怖の対象だったようです。
何とか克服して頂きたいものです。
「世の人の我の何とも言わば言え、我が為す事は我のみぞ知る」
坂本龍馬の言葉です。
私もそんなに自分に自信の持てる人間ではないですがこの気持ちを大事にしたいと思っております。
貴方が気を張らず、ありのままの自分を出せる場所を手に入れられる事を祈ります。
理想の自分が高いというのは良い事かもしれませんがまずは今の自分も認めてあげましょう。
今の自分を認めない事には「高い理想」といのは辛いだけです。
自分を認めるという事は本来とても簡単な事です。
小さな子供達にはいともたやすく出来ます。
しかし大人になるとその感覚を忘れがちです。
忘れて苦しんでしまう。
何か貴方を苦しめる原因があったかもしれませんが、どうか思い出して下さい。
人間は本来ありのままに生きていいのです。
ありのままに笑って、泣いて、時に苛立ったりして生きて下さい。