hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

劣等感

回答数回答 2
有り難し有り難し 22

初めての相談です。
私は自分のことが嫌いでたまりません。

自身も大卒ではありますが父親(国立大学院卒)やきょうだいよりも学校のランクが低いせいか「何故みんな頭が良いのに自分は出来ないんだろう」「恥さらしなのではないか」と責めています。
両親に「それぞれだから比べる必要はない」と言われても比較して落ち込む日々です。

また、「職場の人達に怒られるのでは」「通りすがりの人に絡まれるのでは」「悪口を言われているのでは」と常に人からどう思われているか気にしてしまいます。
「みんな自分の事で精一杯で他人なんて見てないから気にするだけ無駄」と言われた事もありますが、なかなか変わりません。

家の外では我慢をしていますが、家族から(些細な内容ですが)指摘を受けると全否定されていると感じてしまい、時折爆発して大声を出してパニックになってしまいます。

何かありのままの自分を許す方法は無いでしょうか?
とにかく他者と比較して出来ない部分ばかり見えてしまい、自己嫌悪に陥っています。

しまいには「何で亡くなるのが自分じゃないんだろう… 有名人の〇〇さんが生きていた方が世のためになるのに」とも考えてしまいます。

駄文失礼しました。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

考える材料を提案します

こんにちは。

大変お悩みことだと思います。
そのご心情をお察しします。

私は、あなたに二点考える材料を提案しますので、ご自身で一度考えてみてください。

第一に、人の長所、短所についての視点が狭くないですか、という点です。
冒頭の「国立大学院卒」「学校のランク」「頭が良い」というところが、人間を判断する視点になっていますね。

私は、お参り先のお宅で大学進学をしたお孫さんがいる時、大学名を一切聞きません。何を学ぶのですか、とは問います。教育学、経済学何を学ぶために大学に行くのですかというスタンスです。大学名を聞くと、そこには「ランク」の上下を聞いているように響くから、私はこれが嫌いなのです。

何がいいたいのかと言うと、「国立大学院卒」「学校のランク」「頭が良い」ということを話題に出す、悩みであると言っている時点で、既にその価値観に大きく傾いているということです。

そして、学歴じゃないと否定したとしても、自分が肯定する価値観がないと、以前に大切にしていた価値観に引きずられてしまいます。だから、「それぞれだから比べる必要はない」と頭ではわかっていても、やっぱり学歴に引きずられるのです。

世には、絵画の美しさ、音楽の響き、人を思いやる温かさ、数え切れない人の苦闘の歴史・・・称えるべきものは無限です。こういった何かをあなたは肯定できていますか。

第二に、あなたはプライドが高いことが根本的な問題ではないですか、ということです。

これは、学歴の問題と続いています。
本来は自分は「学校のランク」が証明するところの「頭が良い」人間であるはずだという、あるべき自己像が現実の自分より高い所に設定されている。だから、自分の欠点が指摘されて、その自己像に傷がつけられることに拒否反応が大きくなる。

「家族から(些細な内容ですが)指摘を受けると全否定されていると感じてしまい、時折爆発して大声を出してパニックになってしまい」というのは、その現れではないでしょうか。

以上は、可能性の材料です。
よって、肯定できる何らかの価値観を見出し、あるべき自分ではなく現在の自分から物事を考える発想の転換に、あなたの今後があると思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
このお坊さんを応援する

見方を広げてみましょう

拝読させて頂きました。
家族内でそのような見方考え方があるとどうしてもそういう見方に偏ってしまいますよね。そして自分のことをその尺度で見てしまったらそういう思いをしてしまうとは思います。それはとってももったいないなと感じます。

学歴社会があることはわかります、とはいえ学歴だけで人のよし悪しは判断されません。
お釈迦様も「生まれ育ちで人の優劣があるのではなくて、どのように考えてどのような姿勢で行動して生きるかが大事だ」とおっしゃっています。

宜しければあなた自ら自分の良いところ・素晴らしいところ・優れているところを一つ一つリストアップして書き出してみてはいかがでしょうか?

そしてあなた自身がこれからどのような人間になっていきたいのか?どのようなことを志していきていきたいのか?社会の中で何をしていきたいのか?
ゆっくりと考えてみてはいかがでしょう。

素晴らしい人・尊敬できる人・本当に偉い人・立派な人とはどんな人でしょうか?

よくよくゆっくりと見つめ直してみると、家系のいい人・社会的な地位が高い人・権力のある人・財力のある人・学歴のある人・見た目のいい人・運動の能力の高い人・有名な人等どれも本当は上記に当てはまる条件ではないと私は思います。

折角ですからあなた自身ご自分のことを、そしてこれからのことをゆっくりと見つめ直してみてはいかがでしょうか?

あなたがこれから本当に素晴らしい人格を持った人に成長なさっていかれます様心からお祈りさせて頂きます。

{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

大変遅くなりましたが回答ありがとうございました。

お言葉を読み、価値観に縛られているのだと改めて気づく事ができました。
学歴基準をいい加減切り替えないといけませんね。

自分を見つめ直し、肯定できる部分を発見していきたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ