hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

心を殺したい

回答数回答 2
有り難し有り難し 23

自殺願望は無いけれど、欠陥だらけの自分に対する罪悪感と劣等感に疲れました。

仕事では外ヅラだけが良くヘラヘラして、無能感を持ちながら働いています。向上心も、将来どうなりたいという願望もありません。

現実でもインターネット上でも友人は一人もいません。私がネガティブで、思いやりがなく、そもそも誰のことも信用できないせいです。

ちなみに恋人もいません。子供の頃から、性格も肉体も「醜いもの」だと思っていました。誰かと恋愛をしたい、という欲求がありません。

唯一の生きがいが趣味でした。それも、ここ数年ずっと上手くいっていません。純粋な楽しさより承認欲求が強くなってしまったからです。(加えて長期のスランプです)
昔、今とは違って死にたいと言っていた時期があり、その頃に0から勉強し、少しずつ上達して自信を手に入れた大切な趣味なのです。それも自分のせいで駄目にしてしまったまま、楽しい気持ちが戻ってきません。

仕事も人間関係も趣味も、「なぜ他の人ができていることがお前にはできないんだ!!」と、他でもない私の心が叱責し、罵倒します。
ろくに努力もせず不平不満を垂れてばかり。誰かに認めてもらうことに拘っているのがみっともない。実際認められない。そもそも他人に興味が持てないのだから嫌われて当然。相手の気持ちを一切考えてない。全部こんな性格に育った自分が悪い。そんなやつが頑張ろうとするのは滑稽だ、と。

全部正論なのです。そこまで言われても自分を変える勇気がない。失敗するたびに深く傷付くのが怖くて何もせず、そんな自分に結局落ち込んで、また罵倒されます。
自信は空っぽです。それでも断固として、どんなに惨めでも死にたくはないのです。

とりあえず再び趣味が上手くいくまでじっと待ち、他の全てを気にしないようにすれば、欠陥だらけでも幸せにはなれると思うのです。
一人でも頑張って生きていきたい。そのために、毎日毎日毎日「お前は劣っている」と喚き続ける心を殺したいです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ひとりでは寂しい、二人では煩わしい

拝読させていただきました。

人は肉体と心が平行に日々を生きています。
他人と比べ、近い人や同年代の人たちを見て、すぐれている人がいたら自身は劣っていると見がちになります。

お釈迦さまは「他人のしたこと、しなかったことを見るな。自分のしたことと、自分のしなかったことだけを見よ」と言ってます。

これは単純に「他人と比べることで、自分の評価をしてしまう基準になるものであるのです。」

自分らしく、生きる力をもっている さわださん は、数えきれないほどの心との葛藤をされていることと存じます。それはとても素晴らしいことなのです。本当の自分探しであり、本当の自分の生き方となる指針ともなるものです。

仏教では求めるものは手に入らないという「求不得苦(ぐふとくく)」というものが、あります。
一つを満たせば、また欲や煩悩が湧いてくる生き物なのです。

自身を探究し続けた結果、自分のために生きる天井という限界にぶつかります。そんなとき初めて、ヒラメキから、他人のために何か自分ならではのことができることはあるのだと、また探究が始まります。

文面を見ている限り、どんどん今の葛藤から人生に花をしっかり咲かせる方向に向かっていると存じます。

人間とは煩悩の塊であることが当たり前なんだと納得させていくことで、変化が起こっても「普通なんだなこれが」と捉えていく心構えが、不動心を築き上げていくことになります。

どんどん良くなっていきます。苦しみは悩み追求する人にしか、その人の苦しみは他人からは全ては分からないものです。
また、悩み事がない人はつまらない人です。悩むからこそ、答えという光あるゴールを目指して知恵を働かせることが、今の悩みがあったことに感謝できる日が到来いたします。

今、自身の心と葛藤している煩悩から必ず離脱されていくこととなるでしょう。ご自身を大切にすることで、一つ葛藤が無くなります。

合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...
このお坊さんを応援する

人の一生は重荷を負ひて遠き道をゆくが如し急ぐべからず

拝読させて頂きました。
あなたがいつも罪悪感や劣等感に悩まされてそんな心を殺したいと思っておられることを読ませて頂きました。あなたの強い意志を感じます。
読ませて頂いて私はあなたがその趣味を通じていろんなことを学び感じておられるのかと思いました。ご自分のことをとても卑下なさっていますがあなたが周りと自分を比較してしまった時に余計にそうお感じなさっておられるのかと思います。
とはいえあなたはその趣味を続けていこうとなさっておられるのですからこれからも充分に成長なさっていく可能性はとてもあると思いますよ。
どのような趣味なのかは定かではありませんが、一途に継続していく先は必ず道は開けて参ります。
今は試行錯誤の連続で失敗続きかもしれません、或いは大きな谷に落ち込んでいるスランプかもしれません、とはいえそれは続けていく中で必ず道は開けてくるでしょう。別の何かのきっかけで成長するタイミングが訪れることでしょう。そしてあなた自身もご自分を見つめ直してみると人しても成長していくことができると思います。
どの様な道にも山あり谷あり平たんな道はありません、何度も行っては戻り試していく中でいろんなものが見えてくるものです。人生と同じで失敗はつきものですからね。とはいえ必ず道は開けます。
徳川家康公の言葉にあるように
「人の一生は重荷を負ひて遠き道をゆくが如し急ぐべからず、不自由を常と思えば不足なし、心に望みおこれば困窮した時を思ひ出すべし、 堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、勝つことばかり知りて負ける事を知らざれば害その身にいたる、己れを責せめて人を責めるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり」
https://www.toshogu.or.jp/about/goikun.php
あわてることはありません。
あなたのペースでこれからも頑張って下さいね。
あなたがこれからも地道に努力を続けて成長なさっていかれ充実した毎日を送り、健やかに生き抜いていかれます様心より祈ってます。そしてあなたを心から応援してますね。

{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

法源様
何度も読み返させていただきました。
「今の悩みがあったことに感謝できる日が到来いたします。」とのお言葉、今までそのように思えたことがなく、只々驚いています。
他人と比較してしまうことや、他人と同じようにならなければという強い不安、それを実行に移せないことを嘆く弱さを、完全に排除しないことには前には進めないのだと思っておりました。現に押し潰されそうになってばかりだったためです。
相談できる相手が誰もおらず、自分を劣っていると見なしながらも、そんな自分自身の判断しか頼れるものがなかったのです。
今回、思い切って相談させていただいて良かったです。これからも葛藤に呑み込まれることがあるかもしれませんが、この苦しさの先にちゃんと道があるのだと教えていただけたこと、胸に沁みました。本当にありがとうございました。

Kousyo Kuuyo Azuma様
回答いただき感謝いたします。仰る通り、私は少し焦っていたのかもしれません。
上手くいくときがあれば失敗するときもあると、言葉としては理解できていたつもりでも、やはり私は今現在の状態ばかりに気を取られてしまっていました。そのことに、改めて気付かせていただきました。
また、趣味以外のことでも、様々な要素での自身への卑下が、「趣味だけは成功しなければ」と感じる要因になっていた気もします。それもやはり、元を辿れば他人との比較から始まっているのでしょう。
教えていただいた、徳川家康公のお言葉も拝見いたしました。どれも今の自分に足りないものばかりだと痛感しております。一度ゆっくり自分を見つめ直し、それからまた頑張りたいと思います。ありがとうございました。

「人を信用できない・信じられない」問答一覧

息子の彼女が妊娠しました。

息子23歳、彼女25歳です。 昨夜、付き合っている彼女が妊娠した責任をとって結婚すると言ってきました。私にはこの先に、不安しかありません。 息子は社会人1年目、当然、収入は、パートナーと子供を、部屋を借りて養えるような収入ではありません。 この1年も、家にお金を入れることなく、全て使いつくしている状態です。何に使っているか不明ですが、ギャンブル等はしていません。 彼女は20歳から働いているようで、ただずっと実家暮らしなので、同様に稼いだお金は自由に使ってきたようです。 息子の収入だけでは無理という理解はお互いにあるようで、育休をとり、職場復帰をするとは言っているようですが、同じ会社ではありますが、ポジションが違うため、彼女の収入は息子より多くはないと思います。しかも本当に会社に戻れるかわからない。それは、子供が生まれてみないとわからないこともありますが。 その経済観念がない2人が、子供を育てて、生活できるのだろうかというのが心配です。 綺麗事を言っても、結局はお金の問題で喧嘩となるのは良くあることで、更に二人は、お金に苦労して育ってはいないので。 相手の親御さんには、反対こそされなかったけど、おめでとうとは言われなかったと。 私も本音は、堕胎して欲しいと思っています。 息子の親の立場から考えると、彼女は20代を息子より2年間自由に過ごしてきた、 なので、女性であり年齢的にも、あと数年自由にできなくても我慢できるだろうと。 息子はまだ23歳でこれから仕事にも集中し、プライベートも楽しく過ごせる時期に、自由がなくなってしまう。その4,5年があり結婚して欲しかった。 この年齢で、結婚した人たちが、30代になり離婚しているのを、身近で多く見てきています。早くに結婚したらそうなるよなと今までは他人事でみてきました。 私も24歳で中絶しています。その時の相手とはその後、4年近く付き合いましたが、別れました。 当時の相手の収入は、苦労なく生活できるレベルでしたが、さまざま考えで今は無理と判断しました。 私はそれで良かったと思っています。 また息子の時は、産休だけで仕事を再開し寝ずに仕事に行ったことなど大変な事もありました。 息子達と私の考えは違います。 ただもう不安で食欲もなく起き上がれず、これがずっと続くかと思うと自分の身体も不安になります。どう考えたらいいでしょうか。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

人を信じる心、自分を信じる心

いつもありがとうございます。前回の続きです。 大切な存在についてお話しします。 私が話したことにじっと耳を傾け、うんうんと頷き、逆に尋ねたことには一言二言、その先のいろんなことを教えてくれます。 問診が大切な仕事でもあり、1つ言うと、いろんなことを思い巡らせてくれる様子です。 そしてHSPなのではないかと言うほど、共感性が高く悲しい話をしたあとは、顔がこわばるほどです。 私のみでなく他の方に対してもその個性を活かし、対人援助職としての活躍につなげている様子です。 どうしてここまで、その方は私に親切に寄り添い、助けてくれるのでしょうか。仕事として、そして… ある時、ちょっとした仕草に不安を感じ、日を跨いで後日別の機会に「私のことを無意識に嫌いなのではないかと…」と、二人きりの場で打ち明けたところ、苦笑いを浮かべて「考えすぎですよ」とポンポン肩に優しく触れ、「嫌いだったら、ここまでしてません。僕は大丈夫です」と、一生懸命身振り手振りで、打ち解けてくれました。 私が日頃の忙しさで時間に追われ、やらなきゃいけないことで頭がいっぱいの時は「リラックスしましょう」とそっとしてくれたり、趣味のピアノの話を聞いてくれたり、彼の家族関係についても教えてくれたり、そして勤務予定・休みの日についても「僕が合わせるので、空いているタイミングを先に教えてくれたら」と積極的に繋がろうとしてくれました。 またあるときは家に帰る直前、 「凍てつきそうです。どうしたら生き延びられますか」「大丈夫です。何かあったら、連絡ください」と見送ってくれました。 お互い仕事が忙しく、私の体調を支えてくれる分、不摂生が続いて心配な食生活において、何かできればと差し入れを続けています。 志も向上心も、精神的なしなやかさもある優しい人です。 ただただ、燃え尽きずに元気に貢献してほしい。 ひとりの医療従事者として、協力の絆に満ちたチームワークをバネに、ひとりでも多くの患者さんから必要とされ、支えになる唯一無二の存在として自己実現を叶えようとしている勇敢な人です。 その姿を陰から応援できることが、今の私にとっての最高の幸せのひとつです。 とはいえ、まだまだ知り合ったばかり。 まめに時間を取って、周りの存在が関係を育んでくれることに感謝しながら、自分を癒やすことも併行しつつ、毎日を心豊かに過ごしていきたいです。

有り難し有り難し 19
回答数回答 1

何を信じて生きていけばいいかわからない

家族や仕事のトラブルから引きこもりに近い状態になってしまいました。今は人の間で生きることが怖いし、どうすればそんな今を脱却できるのかわかりません。 昔はよき人間であろうとしました。自己啓発にも取り組んだ方だと思います。仕事でもいい職業人であろうとして、出来る限りの努力はしたつもりです。でも結局中途半端に聞き分けのよかった分か、都合のいい人として傷つけられるだけでした。 家族の間においても、仕事においても、あったことをなかったことに、なかったことをあったことにされることが続き、責められ、ある時から患っていたうつ病が完全に悪化してとうとう何もできなくなってしまいました。 最近は、ほぼ引きこもって各種手当で生活をしています。それでも足りない部分があり、嫌々ながら親に頭を下げ、いただいたお金も使っています。そんな自分も嫌いになりつつあります。 また働くにしろ、もう仕事に本気にはなれないし、見合うお金がもらえるかもわからない。何よりもう都合よく扱われたくない、あることないこと、あったこと・なかったことで傷つけられたくない。すべてが怖いです。でもこのままじゃ生活することだってままならない。それでも何かしようとしても心も体も動かず、本気になれない状態です。 そうこうしているうちに、自分が良いと思っていることは本当に良いのか?「誰かにとって都合が良い」からそう教え込まれた、そう思わされているだけではないのか?そんなことを思うようになりました。 例えば道徳として、「悪いことをしたら謝る」というものがあると思います。自分もそう教わりました。でもそう教えたはずの親も、社会に出てからは周りの人間も、そんなことをする人はいませんでした。それを守った私がいいようにされるだけでした。 かといって、人を騙し、人を食らうような生き方をすればよいのかとも思いましたが、それもできませんでした。 もう何が正しいのかもわかりません。何か自分にとって現状を打破することをしようとしても、それは「誰かにとって都合のいいこと」であって、本当に「自分にとっていいこと」「自分が望んだ、願ったこと」なのかと思うとブレーキがかかってしまいます。 何がいいことで、何が悪いことなのか。これから何を信じて、どう生きていけばいいのか。どうすればまた社会に出られるのか。何かアドバイスをいただけたら嬉しいです。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

同性異性問わず人を信じられません

 はじめまして、ロトウと申します。  同性異性問わず信じていた人達に裏切られた過去から人を信じられません。  その為、過去現在の中で親しい人間はいなかったと断言できます。  まず、異性についてです。  小学生の時に好意を抱いてくれた女子がいましたが、その後彼女に当時の自分が大事にしていたものを「キモい」と言われたことから、子ども心ながら女性不信が根付き始めたようでした。それ以降女性と関わることに忌避感を抱き、異性に対し積極的になることができませんでした。  次に、同性についてです。  中高で自分が親友と思い込んでいた男子と当時仲良くしていましたが、大学以降は徐々に疎遠になりました。成長による価値観の相違は受け入れていましたが、当時約束していた旅行を反故にされたことを裏切りだと感じております。  以上が自分が人を信じられなくなった経緯です。  彼らの本質を見抜けず盲信した自分の愚かさに常々嫌気がさします。  周囲から「過去に縛られなくていい」と慰めのお言葉を頂くこともありますが、心に強く根付いた人間不信が原因で生きづらさを抱えています。  自分が大切に思える誰かがいない自分は生きるべきではないのでしょうか。ご回答お待ちしております。

有り難し有り難し 32
回答数回答 3

他人を信用信頼できない事と言う壁。

過去のトラウマが原因で人間不信に陥り他人を信用信頼できなくなってしまい、極力他人と関わらないように生きてきましたが、前向きな人生を歩みたく環境を変える為に移住を決意し、今年から移住活動を始め自身の苦手と自負している交渉ごとを試行錯誤しつつも自治体や賃貸物件の家主ほか関係者との話し合いを重ね、ようやく賃貸契約を結ぶ直前まで事を進めてきました。 契約に関しては空き家バンクを通して地元不動産業者の仲介のもと執り行う予定でしたが、先方家主様から個人間契約をお願いしたいとの旨の連絡があり渋々応じることにしたところ、先方家主様に主導権を握られた感じとそれに伴う強引な押し?が心なしか不信感になりつつあり、先方家主様の言いなりに条件等を丸め込まれる予感に苛まれすごく不安になっています。 去年も一念発起の思いから移住活動をした経緯がありますが、同じような事柄から結果失敗に終わってしまい、失敗した原因を自己分析しあらゆる事に注意、留意をしつつ進めてきたので今回は成功に結びつけたいと強く思っています。 この文面では情報が乏しいと思いますが、よろしければご意見やアドバイスをして頂ければと切に思っております。 どうか移住成功に向けお力添えを宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ