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心を殺したい

回答数回答 2
有り難し有り難し 20

自殺願望は無いけれど、欠陥だらけの自分に対する罪悪感と劣等感に疲れました。

仕事では外ヅラだけが良くヘラヘラして、無能感を持ちながら働いています。向上心も、将来どうなりたいという願望もありません。

現実でもインターネット上でも友人は一人もいません。私がネガティブで、思いやりがなく、そもそも誰のことも信用できないせいです。

ちなみに恋人もいません。子供の頃から、性格も肉体も「醜いもの」だと思っていました。誰かと恋愛をしたい、という欲求がありません。

唯一の生きがいが趣味でした。それも、ここ数年ずっと上手くいっていません。純粋な楽しさより承認欲求が強くなってしまったからです。(加えて長期のスランプです)
昔、今とは違って死にたいと言っていた時期があり、その頃に0から勉強し、少しずつ上達して自信を手に入れた大切な趣味なのです。それも自分のせいで駄目にしてしまったまま、楽しい気持ちが戻ってきません。

仕事も人間関係も趣味も、「なぜ他の人ができていることがお前にはできないんだ!!」と、他でもない私の心が叱責し、罵倒します。
ろくに努力もせず不平不満を垂れてばかり。誰かに認めてもらうことに拘っているのがみっともない。実際認められない。そもそも他人に興味が持てないのだから嫌われて当然。相手の気持ちを一切考えてない。全部こんな性格に育った自分が悪い。そんなやつが頑張ろうとするのは滑稽だ、と。

全部正論なのです。そこまで言われても自分を変える勇気がない。失敗するたびに深く傷付くのが怖くて何もせず、そんな自分に結局落ち込んで、また罵倒されます。
自信は空っぽです。それでも断固として、どんなに惨めでも死にたくはないのです。

とりあえず再び趣味が上手くいくまでじっと待ち、他の全てを気にしないようにすれば、欠陥だらけでも幸せにはなれると思うのです。
一人でも頑張って生きていきたい。そのために、毎日毎日毎日「お前は劣っている」と喚き続ける心を殺したいです。

2021年1月22日 22:53

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ひとりでは寂しい、二人では煩わしい

拝読させていただきました。

人は肉体と心が平行に日々を生きています。
他人と比べ、近い人や同年代の人たちを見て、すぐれている人がいたら自身は劣っていると見がちになります。

お釈迦さまは「他人のしたこと、しなかったことを見るな。自分のしたことと、自分のしなかったことだけを見よ」と言ってます。

これは単純に「他人と比べることで、自分の評価をしてしまう基準になるものであるのです。」

自分らしく、生きる力をもっている さわださん は、数えきれないほどの心との葛藤をされていることと存じます。それはとても素晴らしいことなのです。本当の自分探しであり、本当の自分の生き方となる指針ともなるものです。

仏教では求めるものは手に入らないという「求不得苦(ぐふとくく)」というものが、あります。
一つを満たせば、また欲や煩悩が湧いてくる生き物なのです。

自身を探究し続けた結果、自分のために生きる天井という限界にぶつかります。そんなとき初めて、ヒラメキから、他人のために何か自分ならではのことができることはあるのだと、また探究が始まります。

文面を見ている限り、どんどん今の葛藤から人生に花をしっかり咲かせる方向に向かっていると存じます。

人間とは煩悩の塊であることが当たり前なんだと納得させていくことで、変化が起こっても「普通なんだなこれが」と捉えていく心構えが、不動心を築き上げていくことになります。

どんどん良くなっていきます。苦しみは悩み追求する人にしか、その人の苦しみは他人からは全ては分からないものです。
また、悩み事がない人はつまらない人です。悩むからこそ、答えという光あるゴールを目指して知恵を働かせることが、今の悩みがあったことに感謝できる日が到来いたします。

今、自身の心と葛藤している煩悩から必ず離脱されていくこととなるでしょう。ご自身を大切にすることで、一つ葛藤が無くなります。

合掌

2021年1月23日 1:56
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有り難し
おきもち


祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...

人の一生は重荷を負ひて遠き道をゆくが如し急ぐべからず

拝読させて頂きました。
あなたがいつも罪悪感や劣等感に悩まされてそんな心を殺したいと思っておられることを読ませて頂きました。あなたの強い意志を感じます。
読ませて頂いて私はあなたがその趣味を通じていろんなことを学び感じておられるのかと思いました。ご自分のことをとても卑下なさっていますがあなたが周りと自分を比較してしまった時に余計にそうお感じなさっておられるのかと思います。
とはいえあなたはその趣味を続けていこうとなさっておられるのですからこれからも充分に成長なさっていく可能性はとてもあると思いますよ。
どのような趣味なのかは定かではありませんが、一途に継続していく先は必ず道は開けて参ります。
今は試行錯誤の連続で失敗続きかもしれません、或いは大きな谷に落ち込んでいるスランプかもしれません、とはいえそれは続けていく中で必ず道は開けてくるでしょう。別の何かのきっかけで成長するタイミングが訪れることでしょう。そしてあなた自身もご自分を見つめ直してみると人しても成長していくことができると思います。
どの様な道にも山あり谷あり平たんな道はありません、何度も行っては戻り試していく中でいろんなものが見えてくるものです。人生と同じで失敗はつきものですからね。とはいえ必ず道は開けます。
徳川家康公の言葉にあるように
「人の一生は重荷を負ひて遠き道をゆくが如し急ぐべからず、不自由を常と思えば不足なし、心に望みおこれば困窮した時を思ひ出すべし、 堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、勝つことばかり知りて負ける事を知らざれば害その身にいたる、己れを責せめて人を責めるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり」
https://www.toshogu.or.jp/about/goikun.php
あわてることはありません。
あなたのペースでこれからも頑張って下さいね。
あなたがこれからも地道に努力を続けて成長なさっていかれ充実した毎日を送り、健やかに生き抜いていかれます様心より祈ってます。そしてあなたを心から応援してますね。

2021年1月23日 13:03
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有り難し
おきもち


Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...

質問者からのお礼

法源様
何度も読み返させていただきました。
「今の悩みがあったことに感謝できる日が到来いたします。」とのお言葉、今までそのように思えたことがなく、只々驚いています。
他人と比較してしまうことや、他人と同じようにならなければという強い不安、それを実行に移せないことを嘆く弱さを、完全に排除しないことには前には進めないのだと思っておりました。現に押し潰されそうになってばかりだったためです。
相談できる相手が誰もおらず、自分を劣っていると見なしながらも、そんな自分自身の判断しか頼れるものがなかったのです。
今回、思い切って相談させていただいて良かったです。これからも葛藤に呑み込まれることがあるかもしれませんが、この苦しさの先にちゃんと道があるのだと教えていただけたこと、胸に沁みました。本当にありがとうございました。

Kousyo Kuuyo Azuma様
回答いただき感謝いたします。仰る通り、私は少し焦っていたのかもしれません。
上手くいくときがあれば失敗するときもあると、言葉としては理解できていたつもりでも、やはり私は今現在の状態ばかりに気を取られてしまっていました。そのことに、改めて気付かせていただきました。
また、趣味以外のことでも、様々な要素での自身への卑下が、「趣味だけは成功しなければ」と感じる要因になっていた気もします。それもやはり、元を辿れば他人との比較から始まっているのでしょう。
教えていただいた、徳川家康公のお言葉も拝見いたしました。どれも今の自分に足りないものばかりだと痛感しております。一度ゆっくり自分を見つめ直し、それからまた頑張りたいと思います。ありがとうございました。

「人を信用できない・信じられない」問答一覧

人が信じられません。

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