人を信じられません
小学校時代の教師からのわいせつ行為
しかもキリスト教のお受験をしないと入れない学校
毎日、礼拝で「愛」を語る偽善者たち
私がわいせつ行為を受けている時、苦しんでいる時、誰も気づいてくれず、救ってくれなかった大人たち
(今となっては自分も十分大人ですが)
実家がお金持ちの嘘つき浮気三昧の元夫(その母も浮気三昧のモラルのない家庭だった)
家庭がうまくいっていないと見かけだけで言い寄ってくる、自分本意の妻帯者の男たち(結婚しているもの同士だったら後腐れがないでしょ?というのが彼らの言い分)
史上最低の嘘つきDV男
会社に入れば、自分の都合だけを言ってくる会社の上司たち(男女問わず)
トラブルがあると、自分がトラブルの中に巻き込まれないように、距離を保つ友達という名の知り合いたち(男女問わず)
私は今までの自分の体験や経験から、人を信じられません。
別に信じなくても十分生きていけるけど。
このまま誰も信じないままでいいのかな?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
もう信じています
Aliceさま
さまざまな問題のある人との出会いがあったのですね。
苦しんだ時期もあったのでしょう。
あなたは本当に誰も信じられないのでしょうか。あなたの生活の中には、人の手が加えられたモノがたくさんあります。服や食べ物、飲み物、建物、乗り物、・・・・
人が信じられなければこうしたものを使うことも口に入れることもできません。
誰かの作った食事も口にしますでしょ。
それだけ考えても、信じているのでしょうし一人で生きていないということが分かります。
過去に信じられないようなことがありその人を信じられなかった。それは間違えの無い事実。しかし、それも過去のこと。これから出会う人、すでに出会っている人の中にも心底、信じられる人がいるはずです。
過去の記憶に縛られず、今目の前にいる人を素直に見る目を持っているはず。そこに気付くことができれば、あなたは救われますよ。
今のあなたは知らず知らずのうちに人を信じ頼り、今まで生きてきているのですから(^^)
質問者からのお礼
邦元さま
ご返信をありがとうございます。
例えば食べ物を作る人たちは、私の姿は見えませんよね。
その人たちを信用することと、私がその人たちの作ったものを口にするということは、ちょっと意味が違う気がします。
食べ物の例えで言えば、私は自分がどうなってもいいので、好きなものを好きなだけ口にします。
野菜も大好きなので、野菜もたくさん食べますが、お菓子もジャンクフードも好きなだけ食べます。
これから出会う人の中に、信用できる人を見つけるのは難しいと思います。
なぜなら人は自分のことしか(自分も含みますよ。自分は違うなんて言いません)考えていないからです。人間ってそういう生き物ではないでしょうか?
なんだかお返事をしようと思ったのですが、何を書きたいのかわからなくなってしまいました。
すみません。