なぜ苦しい世に生まれてくるのか
現在就活中の大学院生です。
生きているからには食べたいもの、欲しいものがあり、快適な環境で生活がしたいです。そしてそのためにはお金が必要で、安定した収入を得るためには就職が必要です。会社で働くならパワハラなどもなく良い会社で働きたいと思います。
以上のようなことを考えて就活を始め、自己分析をしたり業界を選んだり、何時間もかけてエントリーシートを書いたりしてきました。そして面接練習を始めたのですが、「そんな言葉だとうちの会社じゃなくていいってなるよね、採らないよね」と言われました。入りたい企業は見つけられたし、頑張って考えてきましたが、志望動機が薄いことも自覚はありました。でもこれ以上うまくは言えません。
完璧な人間じゃなければ、生きていく場所なんてもらえないのだ、と思います。
私は完璧ではありません。じゃあどうしたらいいのでしょう。苦しみながら、将来の生活を心配しながら、嫌な職場で生きていくしかないのでしょうか。
私は人並みには物事ができる方だと思っています。世の中、そんなに苦しみに溢れているのでしょうか。なぜそんなにたくさんの人が、苦しい人生が待つ世界に生まれてくるのでしょうか。
もう少し生きる希望が欲しいです。この世界で生きるのも悪くないなと思いたいです。アドバイスをいただけませんか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あと一歩だけ
こんにちは。
就職活動、大変ですね。
弱音を吐きたくなる時もあるでしょう。
前提として、あなたがどんな専門性をもって、どれほど熾烈な競争の「良い会社」を受け、どんな文言で「エントリーシート」に書き込んだのかは分かりません。よって、あなたの受け止め方という限られた情報を通して、想像を重ねた回答になることを了解してください。
あなたは、学内でしょうか「面接練習」を始めた。しかし、「そんな言葉だとうちの会社じゃなくていいってなるよね、採らないよね」と指摘された。これが堪えているのだと思います。「自己分析」、熟慮して「業界を選んだ」、「何時間もかけてエントリーシートを書」いた。これだけ「頑張って考え」たのに、「採らないよね」と一蹴された。
これ以上の努力は考えられない。
これ以上だったら、「完璧な人間」を欲しているのと同様だ。
以上のような考えの筋道になっていると思います。
しかし、その「面接練習」をしてくれた担当者は、「完璧」を求めたのではないと思います。あなたが「自覚」しているように、「志望動機が薄い」と指摘しただけだと思います。
あなたは冒頭に本音を書いています。
「生きているからには食べたいもの、欲しいものがあり、快適な環境で生活がしたい」。その為のお金であり、就職であり、「良い会社」である、と。
一方、企業の本音とは何でしょうか。
この会社の企業理念を理解し、共感し、進んで参画し、多少の自己犠牲を払う覚悟で尽くして、給料以上とまではいかなくても給料に見合った働きをする人材が欲しい。これが本音でしょう(勿論、ブラックか否かは程度によりますが)。
会社の立場に立って考える必要があるよ、とその面接官は教えてくれたのではないでしょうか。あなたの本音と企業側の本音に距離がある。それを埋めましょう、ということだと思うのです。
私は、自分の20代の時の文章を見直すと、今では別人の文章のように感じます。一言で言って、随分足りない文章を書いているなと実感します。
年長者には、専門とする人には、文章を見抜く力があります。
あなたなりに一生懸命頑張っているのは分かります。
ただ、あと一声なのだと思います。
相手の立場になって考える、という一歩です。
応援しています。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
予想とは違う角度からで驚きましたが、自分の投げたものに返していただける場所があるのはありがたいことですね。