イライラを観察してみました
私はとてもいらっちです。
よく考えたら、長い付き合いなのに自分のイライラについてよく知らない。
そう思い、イライラを観察してみることにしました。
そして分かったことがありました。少し、お付き合いください。
イライラには突発的にイラっときたことを引きずってしまうイライラと、
普段から不満に思っていることに自動で反応して起こるイライラがありました。
突発的なイライラは、思いがけない出来事で予定が狂ったり、たまたま機嫌が悪くて些細なことで腹が立ったり、一時的なエラーといった感じです。
一方で、自動で反応して起こるイライラはなかなか収まりません。
このイライラを更に掘り下げてみると、
「本当は嫌いなのに」
「本当はここに居たくないのに」
「本当は関わりたくないのに」
「本当はこう思っているのに」
不本意なのに、我慢している。でも本当は我慢したくない。
すぐに解決できない。かと言って気持ちの切り替えもできない。
それらのことが受け入れられなくて自分がキャパオーバーしている。
意外と根深い問題だと気付きました。
私はアレルギー体質ですが、それに似ていると思います。
心のアレルギーとでもいうのでしょうか。
もちろん止められることは、すぐに止めれば解決します。
でも、今すぐに止められないこともあります。
例えば仕事に関することがそれです。
最近では「好きなことだけする」といった考え方もありますよね。
私は横着なので、考え方ひとつで楽になれないだろうか、とつい思ってしまいます。
そんな都合のいいことはないかもしれませんが、お坊さんは、こういう時にどうやって気持ちを切り変えていますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どうか、イライラと一緒に生きていきましょう。
『考え方ひとつで楽になれないだろうか』…なれますよ。
「イライラする自分を受け入れよう!」と決めることです…これがその答えです。
ふざけるな…とおっしゃるお声が聞こえそうですが、本気です。本当です。
でも、ご承知の通り…出来ませんよね。
『こういう時にどうやって気持ちを切り変えていますか?』と尋ねられても、「坊さんも日々悩み、苦しみ、イラつきながら生きていますよ」とお答えせざるを得ません。
この状態を「煩悩に支配された状態」と申します。そして「この状態が生きている間中 続き」ます。
つらいですよね…イヤですよね。
だから、仏様は私に「その思いを自分で抱え込まずに手放しなさい。私によこしなさい。託しなさい」とおっしゃるのです。
つらい気持ちだけでしたら、それも出来るのかも知れませんが、「苦しみと楽しみ」は対のもの(セット)なので、どちらかだけ手放すことは出来ないのです。
苦悩がないと歓喜もないのが私達であり、それが煩悩というものです。
だから、どうか「考え方ひとつで楽になる方法は実際にはない」と受け入れて、それはあなただけでなく人間皆がそうであると思い定めて、ならば、苦悩を抱えたまま、イライラと共に生きていきましょうよ。
イラついたら…「あ、またイラついてる」と自分を見つめ、「この思いを手放さなきゃと…」と自らに言い聞かせて下さい。
そんなあなたに仏様が優しく寄り添って下さいますよ…。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
お坊さんも日々、悩んでイライラしたりしながら生きているというお言葉、なんだか親近感が湧きました。(すみません)自分がすごく負の感情にこだわっていることに気付きました。それよりも、それも自分の中に在るものとして積極的に受け入れた方が、生きやすいのかもしれないと思えました。大事なのは無くすことではなく、手放していくことなのですね。イライラに捕われたら思い出します。ありがとうございました。