中絶した過去。幸せになる資格があるのか。
6年前に、当時付き合っていた恋人の避妊に失敗し妊娠しましたが、お互い学生であり、中絶しました。
相手の意思に従いそのような結果になりましたが、最後に決断したのは自分です。後悔しかありません。
水子供養を行いましたが、今も当時のことを思いだし自己嫌悪を繰り返し鬱病と向き合っています。
ですが、当時の彼はその後借金を繰り返し最終的にはお別れをしました。
今は違う方と結婚をしましたが、言い出せずにいます。ですが、定期的に思い出しては泣いているのでもしかすると気付いているかも知れません。
自分は幸せになっていいのか?子供を産む資格があるのか分からず悩んでいます。
もし自分にその資格がないのであれは、これまで同様供養を続け、子供を産む選択肢のない自分と結婚生活を続けさせれないので離婚も考えています。
未熟な私ですが、どうか導きを頂けますと幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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是非幸せになって欲しい
こんにちは。
「鬱病」とのこと、先ずはお大事になさってください。
過去の中絶に、心を痛めているのですね。
「後悔」を心のなかで繰り返し、「自己嫌悪」に陥っているのでしょう。
心中をお察しします。
「自分は幸せになっていいのか」とお尋ねです。
私はあなたに是非幸せになって欲しいです。
仏教では、心、身体、口において行うことを業(ごう)といいます。
過去の業は、現在の自分が引き受けていかなければならない、という厳しい理論です。だから、過去の業をなかったことには出来ません。あなたは、この厳しさの中で苦悶しているのでしょう。
しかし、同時に業の理論は、運命論とは違うということです。
運命のように予め決められたレールから逃れられない、と考えません。
むしろ、過去の業を引き受けつつではあるけれど、今からの業によっていくらでも未来は変えられると考えるのです。
だから、あなたはこれから幸せになれるし、是非幸せになって欲しいと申しました。
既に亡き命にこれからも手を合わされつつ、自分を受け止めてくれているパートナーと共に未来を切り開いていってください。
それは本当にお辛いですね。
でも
幸せになる資格は
もちろんあります。
6年前のお子さんは残念でしたが
すでに仏さまに救われて成仏しています。
あなたや元カレを恨んだりせず
幸せになるよう願っているはずです。
そのお子さんのことは忘れず
ずっと想っていてください。
普通にしていて御縁があれば
またお子さんを授かることでしょう。
質問者からのお礼
和田様
お応えいただきありがとうございます。
「幸せになるよう願っているはずです。
そのお子さんのことは忘れず」という言葉に大変心が落ち着きました。
そうであって欲しい気持ちが強いのも確かですか、このような場でお応え頂けた言葉なので、信じ、仏様に感謝し忘れずに居続けます。有難うございました