怒りの肩代わり?
私はときどき周りの人に、「怒らないね」と言われます。
それで理由をいくつか考えていたら、
自分が怒らない分を周りの人にやってもらっているのでは、と思えてきました。
急に用事を頼まれたりすると、私は咄嗟に「困った、どうしよう」と方策を悩みはじめることが多いです。
怒らないというよりも感想まで頭が回っていないだけな気がします。
職場で他の人が怒っているとき、「そんなに言わなくてもいいんじゃないかな」と思ったのに、
似たような場面に自分一人で遭遇したら、むっとしてしまったこともあります。
親しい人につい愚痴をこぼしたら口を極めて憤慨してくれて、なんだか私の方は笑ってしまったこともあります。
私は、怒る人というのは理不尽や不都合によく気がつくのかなと思っています。
私がちょっとぼんやりしている分を、肩代わりしてもらっている気がするのです。
怒らないで済めば私自身は穏やかです。
でも怒っている当人は嫌な気持ちだと思います。
自分が嫌なことを周りにやってもらうのでは、よくない気がします。
妙な心配だと思いつつずっと気になっています。
どう思われますか?
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それは良いですね。
文旦さま
そういう事ってありますよね。こちらが思っている以上の反応があると、気が抜けるなんてこと^_^私にも経験あります。
私もあまり怒らないので、文旦さまのようなかんじですが、その方が問題を作らずに楽に生きる事ができます。
よく怒る方は、我が強すぎるのですね。自我
を通して物事を見ているから、自分の思い通りにいかないと、我を通そうとして怒りの感情がでてくるのです。怒りは苦しみです。
文旦さまは、事実に思いや考えを付け足すことなく、素直に物事を見ることができるのでしょう^_^素晴らしいことだと思いますよ。怒らないので済むならその方がいいですね。
質問者からのお礼
邦元様
心強いお返事ありがとうございます。
元々は、人に言われたときになぜか複雑な気持ちになってしまったため、気掛かりはどこから来るのかと考えはじめました。
怒ってしまうことは多々あるし、そんなに出来た人間ではないと思うと気後れするところもあったので、とても励まされました。
事実は事実として受け取れるように、これからも努めていきたいと思います。