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死について考えすぎてしまいます

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有り難し有り難し 6

現在高校3年生です
受験を一通り終え人生の節目に立ったことと、時間がとても余っていて暇なこともあってか、ここ数日死について考えてしまいます。受験とコロナという状況も相まって自室という閉塞的な場所に長期間いて家族以外とあまり会えず精神状態が不安定なのかもしれません。
僕は今までとても幸せな生活を送ってきてこれまでの人生に後悔はありません。
だからこそ、いつか来る終わりが怖くて仕方ありません。
死については科学や宗教など色んな立場の人が色んな意見を出し合っていると思います。
今この世に生きている以上結局死後のことは何も分からないことも分かっています。
けれどあれこれ考えてしまいます。
もう大学生ですし結婚願望もあるので親と一緒に過ごせる時間やそして必ず来る親の死、自分の寿命が尽きた時の自我の消滅などを考えると怖くて仕方ありません。
僕としては自分が死んだら、親や兄弟、ペットとまた幸せに暮らしながら、自分の子孫などを見守り、時が来たらその子とも暮らしたりという、あの世での永遠を望んでいます。
これはとても都合のいい考えだと分かっていますが、こうでも考えないとおかしくなってしまいそうです。
もちろん死ぬまでは精一杯生きるつもりですが皆さんの考えを是非お聞かせ頂きたいです。

2021年2月21日 13:41

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死について考えることは

拝読させて頂きました。
あなたが死についてふと考えてしまいお悩みなさっておられることを読ませて頂きました。あなたがその様にお悩みなさることは至極当然のことです。死は自分にとっても周りの方々にとっても大変な問題です、一大事なのです。死を抜きにして私達の人生も命もないのですからね。
あなたがその様に思うのはとても大事なことです。普段当たり前の様に過ごしている自分が如何に当たり前ではないか、実はとても恵まれているのか、実は幸せなのかを見つめ直すきっかけにもなるからです。
ですからあなたが死について考えることはこれからの人生をこれからの未来を自分がどう生きるのか、どういう気持ちで生きていくことが望ましいのかを見据えていく機会を与えてくれるのです。
或いは生きる指針を自ら探していくことにもなるのです。
あなたはこれから沢山の方々にお会いしていろんなことを学んでいくでしょう、そしていろんなことを経験して身をもって吸収していくでしょう、その中で何を目指し何を志して何を目標にしていくか考えて自ら選択なさっていくことになります。それはとても素晴らしいことです。死をきっかけにして死を足ががりにしてあなた自身が歩んでいかれるのです。どうかそのような機会を有効に活用なさって下さいね。「少年老い易く学成り難し」「光陰矢の如し」です。どうかこれからしっかりとご研鑽なさって下さいね。あなたを応援してますね。

それと余談ですがあなたがおっしゃる「自分が死んだら、親や兄弟、ペットとまた幸せに暮らしながら、自分の子孫などを見守り、時が来たらその子とも暮らしたりという、あの世での永遠を望んでいます」
これは仏教の教えの中で死後の世界があることを表しています。私達が天寿を全うする時には必ず仏様がお導きなさって下さり仏様の極楽浄土にて親しい方々やご先祖様方と一緒に心から安らかになり、一切の迷いや苦しみを離れて円満に成仏させて頂くことができるのです。そして生きる人々を優しく見守り続けることができるのです。
これは仏教のなかの浄土教の教えです。その様な教えや死後の世界観があること、そして教えを固く信じる仏教徒がいることをどうか知って下さいね。

あなたの目の前には大きな世界が豊かな慈悲や智慧が広がっているのですからね。どうかあなた自身の意志で歩んで下さいね。またいつでもあなたの思いをお聞かせ下さいね。

2021年2月21日 14:14
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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...

「死について」問答一覧

死について考えてしまいます。

こんにちは。質問をさせていただくのは2回目です。29歳女性、看護師をしています。 今年の1月に祖父が亡くなりました。そして6月に私が入籍し、バタバタな上半期を過ごしてきました。 そして最近、亡くなった祖父母のことを思い出したり、今の夫が亡くなることを考えると涙が止まりません。 「死別という辛い体験をしたくない」「でも死はみんなに平等に訪れるもの」という2つで葛藤しています。 そんな私に夫は優しく寄り添ってくれて何も寂しくないはずなのですが、ふとした時に、悲しい感情が溢れ出てくるのです。 よく行く占いの先生に相談したところ「魂の質が高いのでしょう」「祖父の死と結婚が一気にきたから、結婚後に夫を失うことを恐れているのでは?」という見解でした。 それからは「涙が出るのは仕方ない」ただし、死は皆平等に訪れる仕方のないことであるため「死が訪れるまでは精一杯生きよう」という考えを持つようにしました。 (それでも涙は出てしまいますが…) お坊さんの方々はどのような考えをされるのか、また今の私にアドバイスをお願いしたくて相談させていただきました。 お忙しいとは思いますが、よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 14
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ある考えに取り憑かれています

少し奇妙な話だと思われるかもしれませんが、お時間いただければ幸いです。 この頃2,3年ほど、頻繁に「死ななくてはならない」という考えが定期的にやってきます。しかし、死にたいわけではないのです。 死ぬということは私にとってはとても恐ろしいですし、いずれ死んでしまうのにわざわざ急ぎたくはないです。 「死ななくてはならない」という考えが出てくる流れは大概の場合 これからも周りの人に迷惑をかけ続けるのなら今のうちに死んだほうがいい、というものですが、これに反論するのは簡単です。 ①死ぬほうが迷惑 ②故意でない迷惑はかけ合って生きていくものだ。などです。 しかしこの「死ななくてはならない」(以下、この考えと表記します) という声はとてもしぶとく、どれだけ論破しようとしても、全て「自分を甘やかして死にたくないだけの言い訳」と思わせてきます。 例えば、「未来の自分が他人にかける迷惑を憂うなんて馬鹿馬鹿しい。そうならないようにいま目標に向かって進んでいるんだ」 と考えると、 「お前みたいなやつが将来どんな貢献ができるんだ。そもそもこんなことをうじうじ考えている時点で頭がおかしいのに、偉そうにほざくな」と、返してしまうのです。 暇さえあればこのような下らない問答を脳内で繰り返してしまうのです。 この考えは大抵非論理的ですが、しぶとく、なにより自己弁護している間抜けさが厄介です。 これだけは確かなことだと信じたいのですが、私は死にたくないです。 自己嫌悪が激しいわけでもなく、自分のこともそこそこ気に入っています。(と自分では思っています。)客観的に自分を見るのは難しいです。 ただ心配なのは、この考えに取り憑かれている時、死というものが軽く感じられてしまうのです。このことはとても失礼で軽蔑するべきだと思います。 おそらく私が恵まれた環境でのうのうと生きているから頭でっかちに考えるのですが、どうか決定的な「この考え」に対しての反論をいただければ幸いです。 なぜなら私はやるべきことがあり、頻繁に思考に時間を割くのが無駄だからです。 長文、拙文失礼いたしました。

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人生にステージはあるのか?

ガン告知から3年。先日、転移が悪化し完治はほぼ見込めず、病巣によって骨折もし、最近は死についてよく考えます。しかしピンときていないのか「死が怖い 死にたくない」というより「死後の世界はあるのか どう人生を閉まっていこうか」といったことが気になり、エンディングノートを書いたり、断捨離したりしてます。 先日、友人とコロナについてや、痛ましいと報道される有名人の人生の集結のニュースについての話になり、私も死についてや「一人で旅立っていくときのことを考える」ということを話すと「考えすぎは良くないよ」と言われました(励ましてくれたのかなと思います) 「私にとっては、この気持ちは日常で、あまり悲観的ではなく考えすぎっていう感じでもないんだよ」と伝えると、はいはい、という感じで流されました。ある友人は「それでも不遇な死はあると思う」と述べました。 理解されなかった気がして、些細な出来事ですがショックでした。 私は、死は死でしかなく、その死は不遇であるかどうか他人が言うものではないと思うのです。また、何かしてあげられればよかった、と必ず思うものですが、簡単に言うことでもないとおもうのです。私も他界した母に何もあげられませんでしたが、してあげられなかったと思いすぎるのも、亡くなった方に対して失礼なんじゃないかと。なら生きているうちにできたではずですし、まず亡くなった人がそれを望んでいたかもわからないし、他人が人にできることは限界があると思うからです。 病気になってから、どうも周囲とのズレを感じ、30代であんまりこんなことを考えている人も今までの交友関係だと少なくて、孤独を感じます。 そして「人生のステージが違うのだ」と思うようになってきました。 それは「私のほうが死に近いステージだからだ、きっと彼らもそうなったときにわかるだろう」というニュアンスもあります。 ふと「それはおごりではないか?」と思い質問させていただきました。 確かに病気や死は近づいた人じゃないとわからないものがあると思います。私が感じた寂しさや孤独を「人生のステージが違うから」と帰着させるのはおごりでしょうか?偉そうな立場からの勝手な帰着なのでしょうか? そして、死に不遇はあるのでしょうか? 人が人の死を不遇というのは失礼なことではないのでしょうか? 私が死について考えるのは「考えすぎ」なのでしょうか?

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