不慮の事故
7ヶ月になる息子を不慮の事故でなくしました。
誰のせいでもないと周りの人は言ってくれますが、私は自分がしっかり見ていなかったからだと…思っています。
私の過ちだと思うとすこし楽だからです。
それから毎日御線香をあげては息子に謝り語りかけています。
息子が亡くなり1ヶ月経って私は、自身が死ねるチャンスをさがしてしまったり自分の生きてる価値、仏になる事で息子が伝えたかったメッセージ、など色んなことを考えては毎日泣き生きていることが苦痛でたまりません。
息子はどこで何をしているの?
私は息子を抱きしめていっぱい遊んで
息子の笑顔をもう一度みたくて会いたくて会いたくてあとを追いたいです。
でももうすぐ産まれるお腹の赤ちゃんと主人の事を考えると死ぬなんて選択は出来なくて。
前向きに明るく目的を持って生きないといけないのに、だだ毎日生きることが精一杯で自分はなぜ生きているのだろうと考えさせられます。
こんな私に生きる意味はあるのでしょうか。
質問がごちゃごちゃで申し訳ないです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「生きる意味」より「生きた意味」
大変悲しい状況ですね。
幼いお子さんを不注意で亡くしたお母さんが自殺を図るケースは実際にあり、実は、私の顔見知りの女性も自殺しました。
ただ、おそらくその様な場合、本当は「生きる意味」が問題ではないのです。
生きるために必要な心のエネルギーが不足していることが辛さの要因ではないでしょうか。。
つまりは、脳・神経の体調不良なのだと思います。
エネルギーが充分ある人は、生きる意味など気にしなくても自動的に生きてしまうのです。
また、仏教的には生への執着が苦しみにつながるとも考えます。
まずは、悲しみや疲れを癒し、生活リズムや体調を整え、心のエネルギーを回復させることが重要ではないでしょうか。
そして、生きていれば日にち薬でエネルギーが回復することはよくあります。
新しい家族、新しい刺激が心の風車に新鮮な風を吹き込み、力が出てくる可能性があります。
辛いとは思いますが、心を閉ざさず外部に目を向けて、眼耳鼻舌身と意識の6つのセンサーに新鮮な刺激を浴びせましょう。
家族や友人知人、娯楽・スポーツやアート等から刺激をもらうことも良いと思います。
あとは、亡くなったお子さんが極楽浄土で新たな命を幸せに生きられ、やがて仏様(悟った聖者)の仲間入りを果たせるように、「南無阿弥陀仏」と念仏をしましょう。
生きるために生きる意味は必要ありませんが、生きた後にはきっと意味が遺るはず。
この世では短い寿命だったお子さんも、あなたや家族に多大な影響を与えた。
たとえば、仏様の智慧と慈悲にあなたを出会わせた。
そこに意味を見いだすかどうかは、遺された人次第なのかもしれませんね。