迷い
半年前に離婚をしたいと夫に告げ、
夫も承諾し
着々と準備を進めておりました。
今になって迷っています。
元々、離婚しようと思ったきっかけは
直して欲しいと何度も伝えているにも
関わらずなかなか直らない所。
子どもに対しての扱いが何となく雑な所。
1番のきっかけは1度夜中に大喧嘩をしました。
その際に胸ぐらを掴まれたこと。
手はあげられていませんが、私の中では
それが決定打です。
しかし、普段は普通にいい夫、いいパパなのです。
私の我慢が足りないせいなのでしょうか。
子どもにも兄弟を作ってあげたいのですが
どうしても夫とはそういう行為をする気にも
なれなくなっています。
着々と準備を進めている反面、こうしてうじうじ迷っている自分に嫌気がさしています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
先ずは家族再生を探るべきでは
こんにちは。
離婚に向けて、「着々と準備を進めて」いたけれども、「今になって迷っています」とのことです。迷い始めた切っ掛けが何かあるのでしょうか。
あなたが「着々と準備を進めている」から、「うじうじ迷っている自分」を吹っ切るための言葉を欲しているのなら以下は参考にならないと思うので、読まないで結構です。また、質問文の事実関係が抽象的であることを前提にした回答だという事を理解してください。
「直して欲しいと何度も伝えているにも関わらずなかなか直らない所」とは、具体的に分かりませんが、日常の言動に関わるものだろう(不倫、借金、ギャンブル等ではない)と漠然とはイメージできます。あなたは、ご主人から「直して欲しい」と言われた事柄がありますか。また、それが「直らない」と指摘されたことはありませんか。あなたの一方的な視点になっていませんか。
「子どもに対しての扱いが何となく雑な所」、これは子供に対する仕草・行動が愛情が感じられない不満があるのでしょう。ご主人は「何となく」していることかもしれません。自分で気づかずに。これを「何となく雑な所」とあなたが判断しているとすれば、お二人の間には明確な差というより、ふわっとしたすれ違い程度のようにも思えます。コミュニケーション不足ではないか、と思います。「普段は」「いいパパなの」でしょう。
また、「手はあげられてい」ないが、「胸ぐらを掴まれたこと」が「決定打」といわれています。もちろん、宜しい行為ではありませんが、DVとまではいえず第三者からは「決定打」には見えません。
「子どもにも兄弟を作ってあげたいのですがどうしても夫とはそういう行為をする気にもなれなく」、とあります。離婚を準備している段階で、勿論そういう気になれないのは仕方がないでしょう。ただ、これは離婚の理由とは切り離して考えるべきではないでしょうか。
先ずは、あなたが現在の夫との差異、コミュニケーション不足をどう補い、家族を再生できる可能性があるかどうかを探る営みが先ではないでしょうか。
「我慢が足りないせいなのでしょうか」と問われていますが、「我慢」の問題よりも一方的な視点になりすぎていることに問題があるのでは、と感じました。