人生で2度家が燃えました。
私は母、姉、自分の3人家族で暮らしていました。母は仕事をしてなくて、母子家庭の補助だけで生活してきました。
私が小学4年生の11月の時、自宅のちょうど裏のお宅から放火され火が自宅に移り家を失いました。放火の原因は、自宅裏のお宅の夫婦喧嘩で火を放ったそうです。
しばらくして私も成人になり24歳頃の時また家が火事になりました。
その時の出火元は私の新しい自宅だそうです。このときは母が再婚していたので、再婚相手の夫の家になります。
母もなぜ火が出たのか分からないらしく、どこからか?隣の家から?と思っていたそうです。
人生で2回も火事にあう事があるのでしょうか?
私は1回目も2回目も感じた野次馬の人々の目が全員敵に感じてしょうがありませんでした。なにか恨みや念があるのでしょうか?
私は幼い頃からとても貧しく育ちました。お金がなく食べ物が買えなかった時期があり、夜中に母と畑に行って大根を泥棒して食べた事があります。必要以上にお金にはコンプレックスも感じています。当然お金持ちになりたいと今も思っています。
私が父親がいない状態で育った事に意味はあるのでしょうか?
私自信勉強の方もだめでしたので中学卒業後、昼は働いて夜は定時制の高校に行きました。しっかり卒業はしました。大学には行っておりません。
現在、私も結婚し大切な奥さんには新しい命が宿し始めています。これからの人生ではこれから生まれてくる子のために、恨みや念というものを断ち切りたいのです。
私は、ろくな人生でなかったと思っていますが、いろいろな方のお力添えで今がある事も承知しており感謝しております。
へんな質問で申し訳ないのですが、私の今までの人生の事。これからの人生の事でなんでも良いので助言ください。人生の相談がだれにもできないので、思い切って質問してみました。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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火事は怖いです。誰が言ったか「火事よりも泥棒の方がまし。泥棒はものを移動させるだけだが、火事は本当になくしてしまう」みたいな格言?もあると聞きます。(きっと泥棒の言い逃れかと思われます)
火事にあったことのないわたしには到底想像もつかないご苦労をなさっていらっしゃるのだと思います。
そういえば、子どもの頃、近所で立て続けに3件も火事があったことがありました。放火でも延焼でもなく単独の火事です。また、知っている方で、生涯に3度、火事にあっている方があります。「ご縁」としか言いようがないけれど、でも生涯になぜ3度も火事にあうのか、不思議な気はします。
話は少し変わりますが、20年くらい前、当時すごく好きだった女性に同じ日に偶然二度あったり、その人のことを考えながら普段は歩かない道を歩いていたらその人が前から現れたり、そんなこともありました。運命とかシンクロニシティとかいろんな理由を付けて「きっとこの恋はうまくいく!」と思い込もうとしましたが、わたしの思いに反し、片思いは片思いで完璧に完結してしまい、寂しい思いをしました。でも今はわたしも違う人と結婚して、もうすぐ子どもも生まれるようです。(なんというか、奇遇ですね。)
好きな人に会えるという都合の良い偶然もあるし、かーさんのように二度も火事に遭うというあまり嬉しくない偶然もあります。どちらも「不思議だなあ…」と、そのまま受け止めて、それで終われば良いのではないかと思いながら、生きています。そこに意味を感じてしまうときは感じればいいのだと思います。また、意味をむりやりにあてはめて納得して終わりにすることよりも、「不思議だなあ…」という、カタチがはっきりしない思いをそのまま抱えているほうが、そのことを長く考えていられるので、良いような気もします。
人間の小さな脳みそで考えられること、わかることなんて、きっと少ないんだと思います。わたしたちは、世の中には不思議なこと、わからないことがある、そのままで生きていくのだと思います。
アドバイスにも何もならないのですが、身も心も総動員して新しい命を育んでくださっている奥さまと、かーさんとともに二度の火事を経験なさり、乗り越えてくださったお母さまをねぎらいながら、感謝しながら、日々をお送りくださったら良いな、と思いました。わたしも、丁寧に生きていきたいです。
水
質問者からのお礼
約2年近く放置していて申し訳ございませんでした。
不思議だなぁ~と思うようにします。心がスっと軽くなりました。
水のイメージですね。ありがとうございます。