母を亡くし、毎日悲しみに支配されています
閲覧いただきまして、ありがとうございます。
先日、母を亡くしました。
急死でした。
亡くなる当日の朝まで元気だったのですが、その日の夕方に急死となりました。
母は病気のために、前日から入院していて、当日の手術中に亡くなりました。
前日に、早ければ1週間で退院出来ると言われていただけに、誰もが亡くなるとは思っていませんでした。
あまりにも突然過ぎて、現実を受け止める事が出来ず、今も母が帰ってくるのではないかと、無意識に考えてしまいます。
そのためか、気分の上がり下がりが激しく、前向きになったり、悲しみに支配されたりを繰り返しています。
ですが、母に心配かけないよう、自分の人生を真っ直ぐに進みたい気持ちはあります。
この先、自分はどう現実を受け入れれば、前に進めるのでしょうか?
他人にバカにされる事を嫌う 誰かに認められたい気持ちが強すぎる 他人の態度に大きく左右されてしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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日薬(日にち薬)と目薬
こんばんは。亀山純史と申します。
まずは、お母様が急死されましたことに対しまして、心中お察しするとともに、心よりお悔やみ申し上げます。
人はいつかは死ぬ。人の死は生といつも隣り合わせ。こんなことは、百も承知のことです。しかし、自分にとって掛け替えのない人の死への悲しみは、そのような理屈で解決できるものではありません。数多くの死と対面してきた医師にしても、また数多くの死者とかかわってきている私たち僧侶にとっても、理屈でもって死への悲しみを癒すことは出来ないのです。
では、どうすればこの悲しみを克服、あるいは癒すことが出来るのでしょうか。それには、日薬(日にち薬)と目薬が必要なのです。日薬(または日にち薬)は、字のごとく、日にちが悲しみを癒してくれる薬になる、ということです。そして目薬とは、誰かに自分自身を見てもらっているという認識が、病んだ心を癒してくれるものだということです。たとえば、病院で主治医から、「よく頑張っていますね。」という一言で気持ちが楽になるということは、多くの人が経験していることでしょう。
毎日、お仏壇の御本尊に手をあわせて拝むとき、拝むあなたの姿を、ご本尊、そして亡きお母様はご覧になっています。これが目薬です。そうして、そうやって月日が経つならば、徐々に日薬(日にち薬)も功を奏してくるのではないかと思っています。
以上が私からの回答になります。少しでもこれからの人生のお役に立てれば幸いです。
質問者からのお礼
亀山様、ありがとうございます
日薬と目薬、確かにそうだと思います
少し話がずれるかもですが、今まで一番側で見守っていてくれたのは母だったと思います
どんな時でも、何だかんだいいながら寄り添ってくれていたのが、母でした。
母を失い、支えを失ったような気持ちになってました。
孤独感がとても強く自分の中に根付いてしまっていました。
でも、もし母の身体がなくなっても、いつも側で見守っていてくれると思い、少しずつ前に進めればと思います。