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父親の死後

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先日は父親の突然死について
相談させていただきありがたい
お言葉をありがとうございました
なんとか生きています
しかしながら少し落ち着いて
きたのですが
今になって父親が亡くなる前に
歯が痛いや足が痛いなど
言っていたことを思い出し
病院に連れて行っていれば
まだ死なずに済んだんではないか
など考える日々です
母親は入院していますし
兄は実家から少し離れたところに
住んでいます
父親も免許は返納していますし
行くのにも私が運転しかありません
父親は私が忙しいと思って
病院に行きたいと言わなかったんでは
ないかなど今になって後悔が
襲ってきます
私は勝手に父親は健康だと思って
いました
2年前にも起き上がりできなくなり
救急車で病院に行き全て検査しましたが
異常がないとのことで帰ってきましたし
亡くなる日も私が届けた
ご飯もよく食べお酒は少しだけ飲んでいました
母親も長生きするね笑なんて
言っていましたし
安心していました
まさか心疾患の疑いで突然死ぬなんて
まだ実感がわきません
でも72歳でしたし
不眠に少し鬱の傾向があり
薬を服用していたので
体調は悪かったのかもしれません
天寿をまっとうした
と思っていますが
今更ですが自分を責める日々です


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人は思い出に支えられ、思い出に導かれて生きていける

 なおりさん、ハスノハに相談をしていただき有り難うございます。お父さんとのお別れに、心よりお悔やみを申しあげます。充分、介護・看護されただろうとお見受けするご遺族であっても、ほとんどが後悔の念を持っておられます。なおりさんのように突然のお別れとなった場合は、後悔の思いが強くなるのはごく自然なことで、私もそのようなご門徒さんとのお参りを何件も重ねてきました。他のお坊さまがお応えされているように、今のなおりさんに大切なものは、日にち薬です。これには二つの意味があります。一つには、この現実は急には受け入れることが難しい(=焦る必要はない)ものだ。二つには、時間の経過によって、この度の悲しみから生きるヒントを見いだせるようになる。受け入れるようになるには、数年かかる方もいらっしゃることを知っておくと、逆に安心してもらえるかもしれません。早く受け入れなければとか、私がしっかりしなければと自分を追い込む必要はありません。泣きたい時には、泣いていいのです。笑いたい時には、笑っていいのです。天気に晴れ・雨・曇り・雪・台風など色々あるように、私たちの心持ちも日々変化してごく自然なことですね。悲しみを抱きながら、後悔の思いを持ちながらも、その日その日にできることを一つずつ焦らず重ねていってください。
 
 さらに、なおりさんの今後の力となるのは、お父さんとの思い出です。「人は思い出に支えられ、思い出に導かれて生きていける」私は、ご法事のご法話でこのようにお話をしています。今は、突然のお別れという一場面に意識が集中していらっしゃると思いますが、これからはお母さんやお兄さん・親戚の方々とも言葉を交わす機会を増やしてみてください。そして、お父さんの若かった頃、元気だった頃の様子などをインタビューするなどして思い出を語り合う機会を増やしてみてください。日にち薬が効いてきたら、72年間生きてきたお父さんの人生の一コマ一コマが浮かび上がってくるでしょう。思い出を思い出し、語り合い、聞き合うことで、これまでのつながりや支え・愛情を再び感じることが出来ます。またそれらの思い出は、なおりさんの今後の人生にも大きな示唆を与えてくださることになります。
いつの日か「お父さん、生まれてきてくれて有り難う」「私を育ててくれて有り難う」と声をかけられるようになりますよ。ハスノハのみんなで応援しています。

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おきもち

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん...
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安心してください。❝天寿❞を全うされたのですよ。

〈私は勝手に父親は健康だと思っていました〉・・・大なり小なり、皆そのように思っています。(「自分もいつか死ぬ」って思ってないのと一緒です😢)。
また、誰でも「亡くなった人(それが大事な人であればあるほど…)」に対する「後悔」はあります。あの時ああしていれば…、もっと気遣っておれば…等という気持ち、中々消えません。時間が経つしか解決しません。ちなみに、昔の方はそれを❝日にち薬❞と言ってます。いい言葉だと思います・・・💚。
〈自分を責める〉気持ちが湧いた時、お念仏でもお題目でもご真言でも、貴女の「ご縁」のあるものを唱えてみて下さい。
その内、父上様が微笑んで「有り難う。後悔なんかしなくていいよ。こちらで待っているから、いつかまた逢おうね」って言ってくださいます。合掌 南旡阿弥陀仏

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おきもち

質問者からのお礼

大塚芳明様
ありがたいお言葉ありがとうございます
後悔ばかりの毎日です
日にち薬ですね
いいお言葉です
少しずつ前みたいな日常に
戻れるようゆっくり受け入れながら
生きて行きたいと思います
明日49日を迎えます
今日は父親が夢にでてきて 
ありがとう
と言ってくれ起きた瞬間嬉しかったです
ご回答くださりありがとうございます

げんさん様
ありがたいお言葉ありがとうございます
その日できること少しずつですね
今日は父親の写真をみたりして
過ごしました
明日49日を迎えます
親戚などで
父親の72年間の思い出を話せたらいいです
亡くなっても思い出は消えない
で生きていること
忘れていました
暖かいお言葉ありがとうございます

「親・家族・恋人・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

父の死に激しい後悔

 こんにちは。日に日に積もる気持ちにどうしようもなく、相談させて頂きます。  父の死に後悔ばかりです。2~3年前から股関節骨折を機会に父の持病が悪化し、病院から老健の行ったり来たりで、父は家に帰りたいとか死にたいとか言うようになりました。  もともと父と私は昔から喧嘩ばかりしていて、口も聞かない時期が沢山ありました。  そしていたずら電話を何度もするようになり、電話に出ても何も言わないでこちらの声を聞いたりしてましたが、私はキレてきつい言葉で罵りました。言い過ぎたので悪いと思い病院に顔を出しましたが、父は普通に話してくれました。  でも父との最後の会話は 父『家に帰りたい』 私『痰を常に取らないといけないから仕事あるから無理』 父『私の心配はしなくてもいいから帰りたい』 私『いい加減にして!お父さんの心配なんか一つもしてない。私は自分の仕事と将来のだけを心配をしてる。絶対に嫌』 父『あーもうーいい加減にしろ』 父『もうお前に頼まん』  絶望のような声で言ってました。これで二週間後に危篤になり、息を引き取りました。  またきつく怒鳴ったのでそろそろ顔見せに行こうかと思いながらも、また家に帰りたいと言われたらどうしようと思って、顔を出すのを控えてました。  危篤の父に何度も謝ろうと思っだけど『介護の何一つもしていない自分が言える言葉か』と思いなぜかどうしても言えませんでした。  今、後悔しかないです。本当に自分の愚かさが嫌になります。今ごめんねと謝っても後悔ばかりです。父はどんな思いでイタズラ電話をしてきたのか。どんな思いで帰りたいと言ったのか。  私が有給をとり自宅介護を一週間でもした方が良かったのに、私は汚い言葉で罵る事しかしなかった。。。もっと言い方はあっただろうに。。ただ怒るだけの私  お葬式で家に遺体を運んだ時に、亡くなってからでしか家に帰れなかった、父のその姿が頭から離れません。  日に日に思いが強くなり、激しい後悔です。この気持ちにどう折り合いをつけたらいいでしょうか。ご教授お願い致します。

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弟の死を未だに受け入れられないです。

2022年1月に、4つ下の弟を自死で亡くしました。 亡くなってから気づくもので、同じ年の8月ごろから自ら死を選ぼうとしていたようでヘリウムガスを購入していました。 私は結婚して家を出ているので、祖父母と両親と5人暮らしです。普通の家庭で、何不自由なく育ったと私自身は思っています。 弟とは仲が良く、結婚して家を出てからも二人で飲みに行ったり両親を連れて出掛けたり、私の家族とみんなで旅行に行ったりしていました。なぜ死を選ぶのかが、正直わからない程です。 弟が亡くなってから、弟の友人に聞いたのですが中学生ごろから「そんなに、長生きはしたくない。」大人になってからも、「どうせいつか人は死ぬんだから自分で自分が死ぬ年齢は決めたい。」などといっていたようです。今思い返せば、弟が20歳になった時に私と母に「20歳まで生きるはずじゃなかったんだけどなー。笑」と言ってきたことがあります。 未だに、弟がいないという現実を受け入れたくないので考えないようにしている自分がいて時間が経てば経つほど苦しいです。 自死を選んで後悔してないのか。気になって気になって絶対にわからないのに答えがほしいです。 出棺のときに、霊柩車が実家に向かう途中にエンジントラブルで3.40分遅れたり 告別式で拝んで頂いているときに私の主人の数珠が突然弾けて数珠がすごい勢いで散らばったりハプニング続きで、葬儀会社の方もこんなこと初めてだと驚いていました。その出来事がなおさら、やっぱり死ななければよかったと思って後悔しているのではないかと思えてなりません。 何か、いいお話が聞ければと思ってこちらに書きました。よろしくお願いします。

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夫と死別。ずっと苦しいままです。

2週間前に夫を会社の事故で亡くし死別しました。 現在2歳児の息子がいて2人目妊娠中36wの妊婦です。 これから先、どうしようと途方に暮れていましたが 義実家が受け入れてくれお世話になる事になりました。 義両親はとてもよくしてくれ関係もすごく良好です。 夫が亡くなった日の翌朝、夫のスマホから 連絡を取ったりしないといけない用事等があり パスワードを入力し開くと何通か通知が来ており 急ぎかな?と思い開きました。 夫はTwitter、Instagramで裏アカを作成し、 その他出会えるアプリに登録しており 何人もの人と不貞行為におよんでいました。 亡くなった翌朝に会う約束をしてる人もいました。 私には残業があると言っていたので すごくショックを受けました。 また、不貞行為を始めたのは私の2人目の妊娠がわかった時位からでした… 私がつわりが酷くて保育の送り迎え往復4、50分かかってつらかった時も 夫は3交替で私はワンオペ、家事育児仕事の両立がきつくて泣いていた時も 早出や遅出や会議や出張や飲み会があると ずっと嘘ついて女性と会ってたやり取りが見つかり その日からずっとふとした瞬間苦しくなります。 私と息子の存在は夫にとって何だったのかな? 亡くなった後に久しぶりに乗った夫の車から息子の チャイルドシートが外されトランクに隠されていて あー夫は他の女性をこの車に乗せて 独身であることにしてたんだなあと思い、 リュックサックからバイアグラも見つかり虚しくなりました。 夫が亡くならなかったら私は一度も夫を 疑いもしなかったし気付かないままだったと思います。 夫の死はとても悲しく、だけど呆れや虚しさや 腹立たしい気持ちもあり今でも涙が出ます。 夫は最期まで私や息子を愛してくれていたのでしょうか… ずっと苦しい気持ちが消えません。 どうしたらこの気持ちが消えてくれるのでしょうか。

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夫が急逝しました。

初めて投稿いたします。 私はうつ病を抱えております。 答えが欲しいというより聞いていただきたいのです。 今年の2月、長い間病と闘ってきた夫が急逝しました。 夫は若い頃から腎臓と心臓に病を抱えていて、40代で人工透析を受ける事となりました。 それも長期になってくると身体に負担がかかります。 不整脈もあって、50代後半には仕事に支障が出るほどに体調が悪化。 そうなると次は腎臓移植です。 しかし移植を待つ患者は多く、順番が回ってくるのはいつになるか。 そこで私は、私の腎臓を移植する事を夫に提案しました。 最初はとんでもないと固辞していましたが、やはり体の辛さに耐えられず、数年かかってやっと承諾してくれました。 このまま透析を続けてもいつまで生きられるか。 それなら私の腎臓を移植して生き永らえる時間を延ばせれば。 そして2020年4月、夫婦間生体腎臓移植手術を受けました。 しかし、ここから再び夫の苦難が始まってしまったのです。 入院中に様々な病気を併発し、退院できたのは2ヶ月半後。 元々筋肉質だった夫は痩せ細り、1人で歩く事もできなくなっていました。 しかし私は心配していませんでした。 元々楽天的で努力家の夫は、私がセーブしなければ頑張り過ぎてしまう人でした。 ところが今回は違いました。 なかなかリハビリを始めない夫を私は叱咤激励し、時にはなじってしまいました。 今なら理解できます。 移植手術は思ったよりも夫の身体に負担を強いたという事を。 もう遅かったのだという事を。 移植を受けたため、夫は免疫抑制剤を常用しなければなりません。 世間ではコロナが蔓延していた時期。 ワクチンは都度接種し、外出時はマスクをし、手を消毒、帰ってきたら手洗いうがいをさせ、注意していたつもりでした。 しかし昨年末、夫がコロナに罹患してしまったのです。 最初はまさかコロナだとは思わず、年末年始という時期もあり、家で様子をみる事に。 ところが年明け早々呼吸困難に陥り、救急車搬送となりました。 そして入院から1ヶ月ほどで、突然心停止し、そのまま逝ってしまったのです。 私は今、悲しみと後悔の念に苛まれています。 私にはまだ実父と義母、そして飼い猫を見送るという役目が残っています。 それを終えたらもうすべき事はありません。 いつか仏様の元で亡き人々の冥福を祈りながら過ごす、それが今の私の願いです。

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夫が亡くなりました

昨年末に夫が亡くなりました。 結婚30年目の事でした。一度離婚して別居した事があったのですが、その後思うところあり再婚し、私は別居先で仕事を始めてしまったので、週末婚の状態で過ごしていました。 週末には必ず一緒に過ごし、買い物したり、ご飯食べに行ったり。 夏には私と一緒に別居している娘達と旅行に行っていました。 しかし、昨年は年頭から私たちがコロナに次々と感染し、更には娘が職場で怪我をする、更年期の私は外出もままならない、となり、一度も会いに行けないまま、年の瀬を迎えてしまいました。 しかし、年末恒例でいつも私が年越しの料理を大量に作って持っていくのが定番でしたのでそろそろ、と思っていた時に、同居していた息子から『父が死んでいた』と連絡が来たのです。 それからの事はあまりよく覚えていないのですが、自宅で亡くなったので警察に遺体を持っていかれ、家では会えなかった事、身内が殆どいなくなっていたので子供達だけで火葬した事、それまで全く泣かなかったのを覚えています。 ですが、今年になってからの半年は相続関係、遺産分割などで段々と主人がいないんだと思うと泣く、と言うより胸を掻きむしりたいくらい自分が悪女になったようでどうしたらいいのかわかりません。 主人はどんなに寂しかったろう、たった1人で冷たい部屋で最後にどんな思いで逝ってしまったのだろうと思ってしまいます。 私はどれほど酷い妻だったのだ、と泣く資格なんてお前にあるのか、と言われている気がするのです。今更遅いのはわかっています。でも、どうしたら主人に詫びる事ができるのでしょう。納骨もしなくちゃならないのはわかっていますがまだ、離れたくなくて自宅においたままです。生前から散骨希望ではあったけど、そうしたらもう本当に主人はいなくなってしまう。 一体どうしたらいいのかわからないのです。 夢にでも出てきて私をとことん罵ってくれればいいと思うのにたまに夢に出てくる主人は穏やかに笑って昔みたいに一緒に料理したり、キャンプしたりなのです。 亡くなった人と会話ができたらいいのに、と思うばかりで胸が苦しくてたまりません。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ