ペットを殺したかもしれません
幼い頃、共稼ぎの両親は常に多忙で毎晩
夜遅く迄帰宅しなかった為、私達姉弟は
祖父母に育てられました。私は姉と弟に
はさまれた中間子で、祖父母も両親も私には
あまり目を向けてはいませんでした。
愚かな私は家族の気を引こうとするには
刺激的な言葉を言ったり冗談を言って
ふざけるのが効果的だと思い込み、それが
だんだん習慣になっていきました。
ある日8歳の私は祖父が家の周りに撒いた
ネズミ駆除剤を拾い集め遊んでいました。
キレイなピンク色の錠剤で私が拾い遊んで
いるのを祖父も見ていました。
当時飼っていたペットの柴犬にもその駆除剤を
見せて「これは毒なんだよ」等と言ったと思います。餌の中にはいれた記憶はありません。
でもその後しばらくして柴犬は駆除剤を食べ
亡くなりました。両親によると誰か部外者が
駆除剤を食べさせたのだと言っていました。
私もそれを信じていましたが、最近、40年
も経っているのに柴犬が亡くなったのは
自分が駆除剤で遊んでいたからではないかと 考えるようになりました。間違って混入したのか私がふざけて入れたのか?等と考えるようになり、駆除剤が入った餌の画像迄想像するようになりました。
もし私が柴犬を殺していたらと思うと
どうやって詫びて良いかわかりません。
幼い頃の自分は無知でバカで金魚や小鳥も
飼っていましたがその子達の扱いも知らず
荒っぽく扱っていました。でも子供なりに
精一杯お世話をやっていました。
柴犬はとても利口でそんなバカな私を
常に優しく見守ってくれていました。
私も柴犬が大好きでした。
大好きな柴犬を殺していたのが私だと
したら私はこれからどのように償い
生きて行けば良いのでしょうか?
幼い頃の罪を償うにはどうしたらよいか
お導き下さったら本当にありがたく
存じます。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お彼岸をご縁として
こんにちは。
「幼い頃」の「大好きな柴犬」についてですね。
「子供なりに精一杯お世話を」して、「とても利口で」「常に優しく見守ってくれてい」た姿が懐かしく思い出されるのでしょう。
「大好きな柴犬を殺していたのが私だとしたら私はこれからどのように償い生きて行けば良いのでしょうか」と問うています。
私は、あなたがそのワンちゃんに申し訳なく思う気持ちも分かりますが、基本的に当時「8歳」だったあなたに大きな責任があるとは思えません。
そもそもそのワンちゃんの死因となった「駆除剤」は、「祖父が家の周りに撒いたた」ものです。ご「両親によると誰か部外者が駆除剤を食べさせたのだ」とあって、直接的な事実関係はわかりませんが、あなたが直接手を下したものでは決して無いのだと思います。
「償い」とは、代償という言葉もあるように、代わりになるもの、同等のものをもって贖(あがな)うということです。あなたの宗旨が分かりませんが、せめてワンちゃんのことを思って手を合わせてあげましょう。
そして、ワンちゃんは一体どこに今居るのだろうか、どこに言ったのだろうかを明らかにするためにご宗旨の法話を聞くことをおすすめします。今日からお彼岸ですから、これもご縁にしていただくと宜しいかと思います。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
自分の愚かさを恥じ償うにはどうしたら
良いかという事ばかり考え泣いていましたが
今から私が出来ることを考えます。
仏様に手を合わせ、大好きだった柴犬の姿を
思い私を見守っていてくれてありがとうと
感謝を伝え続けようと思います。
本当にありがとうございました。