どうしても懺悔が出来ない
悪因悪果で自分にその報いが現れた時、またその結果苦境に立たされた時、どうしても罪の重さと向き合えません。
開き直ったり、憎んだりしてしまいます。
こんな調子じゃあ地獄に落ちた時はどうなってしまうんだろうと心配になっちゃいます。
懺悔の心を今のうちに育てたいのですが育て方が分かりません。
これからも、、そして地獄に行ってからも罪と向き合って罰を受けなければいけないのは分かってますが肝心の懺悔の心が出て来ません。
どうすれば懺悔の心を起こす事が出来るのでしょうか?
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
行為だけを省みるよりも、自分の傷ついた心も労ってあげて。
今までの質問も読ませてもらいました。
懺悔の心が起きず、開き直ったり憎んだりしてしまうということですね。
それって、あなたもまた悔しかったり、傷ついてきたからではありませんか。
過去の行為を反省しつつも、その行為に至る出来事があったからの行為だった。あなたの精一杯の抵抗もあったことでしょうね。その部分が解消されないまま、行為だけを省みるよりも、自分の傷ついた心も労ってあげてくださいね。
どうにもならなかったこと、抑えられなかった気持ちに対して、言葉で伝えたり、説明ができていたら、ちゃんと分かり合えたのかな… と、これからの歩みの学びにしていけたらと思いますよ。
それこそが自分中心過ぎる心理だということを学んだらいい
人間トドのつまり自分のことしかねーからいけねーんですわ。
人にメーワクかけた、悪いことした、けど自分ファーストだから、悪いとも思わない。
たとえば被害者になりたがる心理というものが作り出す、しょうもない活動を調べると人間自身の逃避の心理が見えてくる。自分が安全地帯を好むわけです。
責任転嫁の心理や、自分の罪に向き合わない心理というもの。自分ファーストの心理がそうさせる。国家レベルでそれをやっている国があるでしょう。もう後には引けない心理に陥って。だから自国も国民も成長がなく迷惑国家になる。自分ラブな統治者なんて一人でも最悪なのに、国全体がそういう気質になる。恐ろしい心理でしょう。エゴイズム。だから仏教はアンチエゴイズム的な立ち位置でもある訳で。自分ラブしたところで行き着く先は、ずる賢いケチな権力者を目指すだけ。エゴがベースだと人間どこか貧しい。
人間誰でも今自分が幸せじゃない、満たされない、承認欲求が足りない、自分を愛せない、という心理なのは、あさましいまでに自分ラブ&自分ファーストだからです。
そういう心理を古くは餓鬼界とも呼んだわけです。
人間も生物ですから、教育が無ければ動物とさほど変わらなくなる、と先人たちは見抜いていた。
ほとけ、覚者、自己を深く見つめた方は人間のそのどうしようもないドエゴを見抜く目を持つ。
仏道の修行者とはそのドエゴという人間の持つどうしようもない心理を自分で何とかしたいと志して、自分可愛がりのお坊ちゃんマインドから一皮むけた人たちです。
自分が可愛い人は感謝の心が沸かない。感謝がないから文句や不平不満や愚痴ばっかりの人。自分のことしかねーからなんです。
ここまで、お話しているなかで、悪い意味での自己防衛的な人はこれを読んだ時に「人のことだ」「ああ、だからあいつは」と思うそうです。それが逃避の心理。
それが自己保身という自分可愛がりの心で、自分のことにできない心理。真犯人です。💀
自分ファーストで自己保身のプロテクター、鎧、バリアで、自分が損すること、弱みを握られること、失うことを恐れてばかりで、自分を精神的に向上させる気持ちが起こらない心理。
六道ともいう。
六道は天上界も餓鬼界も自己向上精神が無い自分ファースト心理だから苦しいわけです。
そこから脱して心を向上させようとする菩提心をおこし、菩薩道に精進して初めて懺悔ができるのです。
「煩悩具足の凡夫」と手が合わさる、それが真宗における真の懺悔
ご相談ありがとうございます。過去の過ちや地獄への恐怖を感じながらも、どうしても心が頑なになってしまうという苦しみ、その矛盾こそが、ご自身を深く見つめている証拠であると感じます。
浄土真宗の教えにおいて、「懺悔の心」は自らの努力で作り出すものではありません。 親鸞聖人は、私たち人間の実相を「悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり 修善も雑毒なるゆゑに 虚仮の行とぞなづけたる」(正像末和讃)と述懐されました。罪の報いを恐れながらも、我が身可愛さに開き直り、他人を憎んでしまう。その救いようのない姿こそが、私たちが抱える「煩悩具足の凡夫(ぼんぶ)」の正体なのです。
あなたが今なすべきことは、無理に殊勝な心を作ろうとすることではありません。「自分は罪と向き合うことさえできず、地獄行きも当然の身である」という事実(機)を、そのまま認めることです。 阿弥陀如来の本願は、清らかな心を持つ者のためではなく、まさに今、懺悔すらできずに苦しんでいる貴方のような方のためにたてられました。
ご自分の力で罪を消そう、心を変えようという計らいを捨て、そのどうしようもない苦悩を抱えたまま、阿弥陀様にお任せしてください。 「懺悔できない私でした」と手が合わさる時、それが真宗における真の懺悔(慚愧)への第一歩となります。表面的に「懺悔」を装う努力をしても、それは「雑行」にしかなりません。
拝
縁起寺 釋聴法
小説を読む
小説を読む等、物語を通して他人の視点を想像してみると、自分の罪や愚かさを恥ずかしく思える可能性があります。
また、物語を通して他人の失敗例を想像してみると、自分の煩悩(欲・怒り・怠け・プライド)や無鉄砲さによって自他に大きな損害や苦しみを生じさせる恐れがあると、自分の罪や愚かさを恐ろしく思える可能性があります。
煩悩や無知を恥ずかしく思えたり恐ろしく思えたら、懺悔につながるでしょう。
そのために、物語を読んだり見聞きすることが役立つかもしれません。
物語だけでなく、新聞やニュースやSNSで他人の苦しみを知ることも役立つかもしれません。
このhasunohaにおいても、他の人の相談を読んで見てください。
例えば、いじめで苦しんでいる人の記事を見ることで、いじめによる苦痛がより具体的にイメージできるかもしれません。
私は昨日、オーディブル(聴く読書)で、湊かなえ著作「暁星」を聴きました。
架空の新興宗教信者2世が教団関係者を殺害する物語(フィクション)ですが、そこに至るまでの主人公や登場人物のエピソードの中に、我々の日常生活では思い至らない多くの出来事が描かれています。
フィクションだからこそ、登場人物ごとに様々な背景を描けるので、数種類の罪や過ちを想像できます。
「暁星」を読むか聴いてみてください。
なむあみだぶなむあみだぶ
質問者からのお礼
3人の方回答ありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。
釋聴法様、回答ありがとうございます。
良い勉強になりました。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
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(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )