私は盗人です
15年ほど前の中高時代の友達(卒業以来疎遠)の気持ちを無下にしてしまいました。
彼女とは、中高の時共同でお話を作って楽しんでいました。この創作自体は2人だけのもので、SNSもほとんどない世の中。どこにも公開されなかった思い出。ここ最近になって、私自身病気を患いあまり将来長くない事を前にして、あの時の創作を形に残したいと思ったのです。
彼女へオマージュとしてオリジナルを作っていいか、と尋ねたところ、長らく返事がなく…私は熱を上げてしまい既に大量に描き出し公開してしまった。そしてようやく返信が来たと思ったら、元にして別のものを作らないでほしい。それは自分が持ちかけた話で自分だけのものだから。と言われてしまったのです。
でも、私はもう走り出してしまった。凄く楽しい気持ちでいたところに胸に刃物をさされたような心持ちの反面、私は彼女の気持ちを無下にしてしまった、過ちをおかしたという罪悪感でいっぱいです。私のものも含まれている、そしてオマージュなど似ている部分はあれど今私のオリジナルでやっているのに、どうして止められなければいけないのか。
世間体でいえば私が悪いのは一目瞭然です。
別の何かを作らなければ、この話は丸く治らない。でも、私はこれが、描きたいんです。
このまま過去の友人を押しのけて進み、この先それが発端で燃えあがって私は火だるまになるかもしれません。
私はこの悔恨のこる作品を抱えて進もうとしています。止めますか。世間から非難されて、しかるべきですか。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
オマージュしつつ、オリジナル作品であること、きちんと明記を。
お2人のタイミングも合わなかったですよね。友人からの返事も遅く、あなたも待ちきれず、ネットに上げた。
もし、友人からの返事が先に来ていたら、あなたはどうしていましたか?
今のあなたは、オマージュしつつオリジナルを作ったのだから、これは「私の作品」になっているのですよね。
本来なら、思い出を壊すことのないように、時間をかけて友人にも了承を得れば、問題にならなかったのかなと思います。
今となっては、せっかくの縁も壊れてしまった状態。ですが、あなたが作品に込める想いも大切になさってほしいなと思います。
オマージュしつつ、オリジナル作品であることを、きちんと明記しておきましょう。友人も、時間をかけたら、あの頃の作品とは違うんだと理解してくれる日がくるんじゃないでしょうか。あなたも、明記したことで堂々と作品を世に出していけると思いますよ。
二つの力がせめぎあい
あなたの胸の内には、二つの力がせめぎ合っているように感じます。
ひとつは「生きているあいだに、自分の心を表現し、作品を残したい」という切実な願い。もうひとつは「友人の気持ちを踏みにじってはいけない」という誠実さ。その狭間で苦しんでおられますね。
仏教の教えには「二種の真理(世俗諦と勝義諦)」があります。世俗の世界においては、人との約束や権利・秩序を大切にする必要があります。それを軽んじると、確かに非難や争いを招くでしょう。ですから、友人の意向に一定の配慮をすることは世俗的な道理として必要です。
一方で、勝義の真理から見れば、この世界のすべては縁起によって生じ、刻一刻と流れてゆく無常の現れです。あなたの中に湧き上がる「描きたい」という力もまた、かけがえのない縁の現れです。命の限りが見えていると感じる今、それを抑えつけることは、あなたの“仏性”=生きる力そのものを否定することにつながりかねません。
・どう折り合いをつけるか
ではどうすればよいか。僧侶としておすすめするのは「描くことは止めずに、執着を変容させる」ことです。
非公開で描く:仏道では修行者が経を写すように、誰に見せるためでもなく、自らの心を浄めるために描き続ける道もあります。
オリジナルに転生させる:友人との作品は「前世」であり、今生のあなたはそこから縁をいただいて、まったく新しい作品に“再誕”させることができます。形を変えれば、それはもう別の命です。
償いを込める:描いたものを供養のように扱い、「友人との縁に感謝して、この作品を世に送り出します」と心で祈る。これによって、罪悪感を浄化することができます。
・結び
あなたは「描きたい」と「友を大切にしたい」という二つの願いに苦しんでいますが、どちらも慈悲の心から生まれています。その心があるかぎり、たとえ世間から一時非難されても、仏の眼から見れば「誠実に生きようとする人」です。
どうか自分を責めすぎず、「創作は修行」と捉えてください。筆を取る一瞬一瞬が、あなたの命の証であり、友への供養であり、仏への礼拝でもあるのです。
合掌
因縁生起
この世は因縁で成り立っています。私が綴る文面も私が生み出したものなど何一つありません。すべてはどこかで聞き、学び、盗んでいるものです。こんなことを言いますと著作権という考え方と真っ向から対立することになってしまうかもしれませんが、誰かが一から生み出したものなどこの世には何一つありません。それが真実です。それを仏教では因縁生起といいます。
現代の価値観からしますと罪悪感があることは一定理解しますが、それを言い出すと表現活動がどこまでも狭められてしまうという思いもあります。
すべては誰かからいただいたもので表現をしている。その感謝と謙虚さを保ちながら表現活動に勤しむことが何よりも大切なことかと感じました。
法律的にはアウトなこともあるかもしれません。それはそれとして受け入れる覚悟がおありなのであれば、どうぞ前進あるのみと応援したい気持ちで一杯です。
無責任な言葉かもしれませんが、率直にお伝えいたします。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
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(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )