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愛が分からなくなり、感情を失う

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有り難し有り難し 14

昔は愛に満ち溢れ、素直に人を愛し愛を受け取れていた。私は馬鹿で、人に騙されることもあったし、その場限りの愛にも溺れられた。
今や私は愛の感覚も忘れてしまいました。誰かと愛し合うと胸が熱くなる感覚も、冷めきって空虚感が募る毎日。こうなったのは片思いをしていた人と離別することになったからです。
私は同棲している人がいるにも関わらず、その人を愛してしまいました。でも私は浮気は絶対にしないと心に誓っていて、その人の元を自分から去りました。
私はそれから毎日虚しくてしかたなありません。
何が幸せなのかわかりません。恋愛から遠ざかろうと仕事や趣味、勉強に打ち込んでいますが、楽しくありません。無味無臭です。
かろうじて命を紡いでいます。今も過去に縋っていて、今を生きられません。
苦しいです。私はその人と離れなきゃよかったという後悔でいっぱいです。それに自分を常に責めてばかりです。もうしんどいです。私は誰かに甘えたい、何も考えたくない。逃げたいと思ってしまいます。
その人の代わりも探してしまいます。でも、絶対に見つかるはずないのに。こんなことをしてしまいます。

こんな私にお言葉をください。少しでも救いがあれば、私の心は開放されます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「愛」

こんにちは。
以前も御縁ありましたね。
その後いかがお過ごしですか。

一読した所で、あなたの「愛」は意味が非常に幅広いな、と感じました。

「その場限り」でも「愛」。
「同棲している人がいるにも関わらず」、他の人を「愛して」。
「胸が熱くなる感覚」が「愛」であり、その逆は「冷めきって空虚感が募る」こと。

以前もお伝えしましたが、私は相手の立場に立って相手の欲することに心を注ぐことが愛だと思います。「胸が熱くなる感覚」ということもあるのでしょうが、「冷めきっ」た時にでもつながっている「感覚」が愛だと思います。

また、愛は「その場限り」で語れるものではなく、一生をかけて積み上げていくものです。二人で一緒に。「胸が熱くなる感覚」がなくなっても。

また、愛は誠実さでもある、と思います。

前回にてほぼ私の言いたいことは尽くしてありますし、今回はその補足です。

あなたがこれまで自分で思っている「愛」に沿って生きたいのか。
それとも見直しをするのか。

自分の在り方、心のあり方を省みるところにのみ突破口があると感じます。

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有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

前回同様お時間を割いて頂き、貴重なご意見をありがとう御座います。
私が思うに、家庭環境で上手い事「愛」の感覚を掴むことができなかったように思います。
親は親、親の人生がある、失敗もある思いますが、どこかの時点で妄信的に「愛」はいつか壊れるものだと信じ込んでしまったように思います。
また、私は「愛」についてとても畏怖のような恐怖心を抱いております。私の母は「死」を軽々しく口にしたり、父を粗末に扱っておりました。その光景、言葉が今でも脳裏にこびりついて離れません。
私は同棲相手にも恐怖を抱いております。私を孤独にさせようとしてるんじゃないかと思いこんでいます。何故私を好きなのかも分からないです。
無くなってもそこにあるものが「愛」というのは何となく理屈では分かります。
あと誠実に生きたいと思うのに、恐怖心がそれを邪魔します。私の母は、父がいるのに不倫。しかも父が死んでからもその不倫相手と仲良くやっています。正直母親なんていなくなってしまえとまだこの歳で思ってしまうのです。
母親の影が私の頭になければもう少しマシな性格になったような気がします。いや、私の精神が薄弱なせいなのかもしれません。
もう愛を求めるのはやめようと思います。自然と誰かを愛せるようになるまで。無理に愛そうとするのは精神が疲れました。
大きく言うと、私は皆を愛せますが誰も愛せないのです。多分自分を愛せないからだと思います。
私はまだまだ未熟で課題が多いと思います。なのでこれからも自分と向き合おうと思います…。

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