過去の罪について
現在、13歳の者です。
5ヶ月ほど前に私はyoutubeのニュース動画を観ました。その動画は、「ヨーロッパのある国で、学校での授業中に教師が、ある宗教の風刺画を見せたことによって、その場に当時居た生徒に後日、殺害された」というものでした。
それに対して、私は「風刺画を見せた教師にも非があるんじゃないか?殺されても仕方なかったのでは?」というコメントをしました。5ヶ月前なので詳しくは覚えていませんが、こんな内容でした。(そのコメントは私がyoutubeのアカウント削除を数日前にしたので、数日前には無くなっていますが、今までは残っていました。)
なぜ私がこんなコメントをしたのかというと、その動画のコメント欄で、そのある宗教がとても悪く言われていたことからでした。私の偽善的な考えで「許せない」といい気持ちが沸いたからということもあったと思います。
その動画では事件のことしか言われてませんでしたが、よくよく調べてみると、その教師はとても良い人だったこと、しっかりと宗教への配慮をして授業を行っていたことを今になって知りました。
私はその事件のことを調べもせず、小さな視点からしか見てない状態なのに、亡くなられた方を否定するような意見を書き込み、誹謗中傷してしまったことを後悔しています。
人を傷つけた罪とはどうやって接していけばいいのでしょうか?
今からでも私にできることはありますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「今からでも」あなたに「できること」
こんにちは。
「風刺画」というところで、どのような経緯の事件かはだいたい想像できます。
あなたは、その一連の事件を扱った「ニュース動画」のコメント欄に書いた自分の一方的、かつ誤った認識に基づいた「誹謗中傷」について後悔しているのですね。
「人を傷つけた罪とはどうやって接していけばいい」とありますが、これはそのコメント欄が自分で編集できると思いますから訂正すればいい(元の意見が見える形で)と思います。
あなたは、「亡くなられた方を否定するような意見」を書き込んで、もしこれが関係者が見たならば傷付ける内容であったのは事実でしょう。しかし、認識を改めて反省する内容を書き込むことで、これを目にした他のユーザーにも自制、自省を促すきっかけになります。
これは犯した誤りに対するきちんとした対処の仕方です。
既に書いてしまったことは変えられませんが、目に見える形で自省した姿を示すことは社会的影響を与える人間の一人として大切な行動です。
そして、その償いとともに、今後繰り返さないための原因と対策を講じましょう。
「その事件のことを調べもせず」なのであれば、複数の新聞記事や専門家の意見を聞いて事実関係を確かめる癖をつける。
「小さな視点からしか見てない状態」なのであれば、これもどうように複数の新聞記事や専門家の意見を幅広く聞いて、是々非々で物事を判断できるように思考を鍛える。
以上のことが、「今からでも」あなたに「できること」だと思います。
質問者からのお礼
忙しい中、ありがとうございます。
もう既に、書き込んだアカウントを削除していたので、おそらくコメントは消えてしまっています。しかし、別のアカウントで謝罪文をコメントしました。
これからは反省して、もう二度と同じことをしないように生きていきます。
すみません。
追記です(お礼コメントではありません)
誤字(誤植?)訂正です。
この質問を読んで誤解する方がいらっしゃるとダメなので訂正させていただきます。
殺害したのは生徒ではなく、その事を知った他の人物だそうです。
訂正、失礼しました。
あと、報告です。
母にこのことを話しました。「しっかりと反省して、今後、こんなことがないように。過去のことを見て、後悔してばかりじゃだめ。」と言われました。
先のお礼コメントと同じことを書いてしまいますが、今後はしっかりと気をつけて行動していきます。