私に生きる意味はあるのでしょうか。
嫁に離婚され子供達と会えなくなり3月末で1年が経ちました。当初はLINEでのメッセージも読んでもらえ、短いながらも返事を返してもらえていましたが、12月末から既読も付かなくなり返事も一切もらえなくなってしまいました。今となってはメッセージを読んでもらえていた頃は、まだ可能性があったのかもしれないと思うと後悔しかありません。可能性までも棒に振ってしまったことが残念で仕方ありません。つくづく自分のバカさに涙が出ます。「償われる側の心」を考え、元妻の「そっとしておいて下さい」という思いを尊重し、連絡も控え関わらないように配慮しています。以前元嫁と弁護士の間で交わした公正証書には執行猶予中の3年間は子供達との面会は行わない、執行猶予期間令和5年6月中旬が明けた際には双方で話し合い再度協議する、と定めて頂きました。現状では元嫁との連絡は途絶え、月に1回の30分の子供達との電話面会だけ何とかさせてもらえる状態ですが、この1年で離れて暮らす父親に対しての子供達の感情は薄れていることを強く感じます。令和5年の6月、3年後に子供達に会わせてもらえるよう希望を持ってやっていますが、その夢も日が経つにつれ叶わないものになっているように感じます。令和5年の6月には私は必要のない存在になりそうです。
本業と副業を一生懸命こなしてはいますが、働いては帰って寝るだけの毎日の繰り返しで何の楽しみもありません。いくら頑張ってもその頑張りが子供達や元嫁に伝わることもありません。
私は4年ほど前に壊死性筋膜炎という病気を患い生死を彷徨い、掌から肩にかけて切開した傷もきれいに治らず皮膚移植も伴い右手が少し不自由となりました。そして1年前に事件を起こした後、勾留所の中での嫁との面会時に「病気をした時に死んでくれれば良かったのに」そう言われてしまいました。死んでくれれば良かったと思われている人間であり、希望もない私は、今生きている意味はあるのか、これから生きていく意味はあるのか、よくそう考えることがあります。次迎えが来たらすんなり受け入れるような気がします。
3年後に子供達に会いたい。子供達に会って、もう一度そこから元嫁にも会ってもらって人生をやり直したい。でもこの1年はとてつもなく長い1年でした。あと2年以上も孤独と戦いながら希望もない中で頑張れる気がしません。早く楽になりたい、それが正直な気持ちです。
幸せそうな家族を見ると孤独で寂しく諦めなければいけないのにやり直したい気持ちが強くなってしまいます。やり直せるはずもないのに期待してしまう自分がいて、何年かしたら帰れるかもしれないそう思ってしまいます
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分と格闘し、煩悶し始めなければ始まらない
こんにちは。
過去4回ほど縁があって回答しました。
あなたが罪を犯して後、再び仕事を探し始める頃からの縁です。
また、あなたがご家族と別れ、非常に辛い立場であることも分かります。
そして、償いの方法、償われる立場に立ってということも、質問の文面で大切にしてくれているようで嬉しいです。
今回、「4年ほど前に壊死性筋膜炎という病気を患い生死を彷徨い」ということを初めて知りました。それはとてもつらい経験だったでしょう。
ただ、私がここに来て思うのは、何故一年前にあなたは何故窃盗という行為に出たのでしょうか。第一回の文章に「収入は多くはありませんでした。家計の足しにしようと万引き」と書いていました。直接的には、経済的理由なのだろうと思います。
しかし、そこには複数の問題の可能性を感じます。
それは、自分の心の、人生の基準が経済的な価値観に重きを置いていた、置いている可能性です。盗まれる側の損失以上に、自分の得、家族の得を優先させる考え方です。
かつ、その経済を優先させる在り方が、ご家族の思いと大きくかけ離れてこと。それは、自分勝手な方法での家族への思いやりであった可能性です。いまでも、その自分中心という問題点が十分に把握されているでしょうか。
或いは、健康への不安、人生、先行きへの不安を「万引き」という行いで埋めようとしていた可能性も感じます。
あなたが今、向き合うべきは自分自身の人生の在り方、何を拠り所に生きているかということではないでしょうか。その意味で、寂しい、家族と会えない、家族と「人生をやり直したい」以前に、まず自分と向き合って自分の問題点、改善点、何を拠り所に生きるかという生きる道筋を就けることにあると思います。
ご縁のある仏教宗派があったら、まずはそこを手がかりにするのもいいでしょう。
或いは、人生論に関する書をひもとくのもいいかもしれません。
もう一度やり直したい、から元家族に考え直してほしいというのは非常に困難です。いや、もう一度やり直したい、と自然に思ってもらえるようなあなたになるべきです。
それは、「令和5年の6月」ではないかもしれません。
令和10年か、15年かは分かりません。
ただ、それがいつになるかは、あなたがそもそもの自分と格闘し、煩悶し始めなければ始まらないのだけは確かだと思います(字数制限)
質問者からのお礼
釋様に回答して頂けることが、とても嬉しくて嬉しくて、全てを分かって頂けているようで安心します。有り難う御座います。釋様が感じたように、自分勝手で歪んだ愛情だったと思っています。自分や家族の得しか考えていなかったと思います。それに付け加え私は月に1万円の小遣いだけで生活していました。家計のことは全て元妻に任せてしまったことで、経済的なことは分からなくなってしまい、1人勝手に焦り始め貯蓄も何もないそう感じてしまっていました。そして病気を患ってしまった。仕事も続けられるか分からなくなり、一家の大黒柱が足を引っ張るお荷物となってしまったことで自信を失くし家族に負担を掛けたくないと少しでも家計の足しにしようとしたのです。それがエスカレートしていき腕の具合が良くなってからも続いたことが今の現状です。失うものが多すぎましたが、今回のことによりお金や物の価値や自分の生活を見直すきっかけともなりました。お金を掛けなくても楽しみや幸せはいっぱいあることを知りました。それに気付くことができていたなら家族をもっと笑わせてあげられたのに、もっと早く気付くことができていたならと思ってしまいます。勾留所の中で読んだ小説に、「人は失ってはじめて気付く愚かな生き物。それまであった平凡でたいくつだった日々。それがどんなに大切で素晴らしいものだったのか、あなたは知ることになる。時間は戻ることなく、あなたは後悔にもがき苦しみながら、それでも生き続ける。絶望感が空気のように漂う毎日は、どんなに苦しかっただろう。悲しみや苦しみの感情、やがてそれはそばにいる人にも感染していく」まさに自分だと感じました。