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楽しさを見い出せません。

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有り難し有り難し 8

中学生になった頃から楽しさを見いだせなくなりました。しかし、それには特に理由がないのです。

友達と遊んでいても、親と食事をしていても、ゲームや本、アウトドアに至っても、試して見たけれど、周りが楽しいと感じる理由が分かりません。

小学生の頃の恐らく楽しかったであろう記憶を辿っても、何がどうしてどうやって面白かったかのかが分かりません。

別に面白いを追求している訳ではなく、ただ面白いと感じたいだけなのに、楽しみを見い出せません。

温度差を持って周りと接している自覚もありませんし、どちらかと言うと楽しいと感じたいとさえ思っています。

かと言って、無理やり楽しもうとしている訳でもありません。
こんな事を親に相談するも『中二病』の一言で片付けられてしまいました。

楽しみを見いだせないままかなりたった今では、周りをよく客観視してしまうようになりました。

友達に趣味を合わせ、うんうんと頷く友人。
カースト上位の女子によせた格好をする女子。

『ほっとけ』という話になるのでしょうが、周りと合わせて楽しいの?意味があるの?と思ってしまいます。

結論から言うと自分は周りに合わせても合わさなくても楽しいとという感情や他の何も感じられく、退屈でした。

こんな退屈が続くなら自分の前でちょっとした非日常が起こって『自分、死なないかな』なんて思ってしまいます。

それからという物、自分はあることに対してだけ、興味を抱くようになりました。
それは死でした。

死した後にはどうなるのだろう。
そんな疑問が四六時中頭の中をまわります。
が、人を殺める気も無ければ自殺する気もありません。

自分を殺せばそれは非日常では無くなってしまいますので……。

でも、自殺するなら高い所から落ちたいです。
親には『下にいる人にぶつかったら危ない』と言われたのでするつもりなんてありませんが。

こんな風に感じてしまうのは学生特有の中二病なのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「楽しい」よりも、嬉しい

こんにちは。

私はあなたが「中二病」だとは思いません。
そんなレッテルは、そもそも必要ありません。

あなたは「楽しいとという感情や他の何も感じられく、退屈」と書いています。
「友達と遊んでいても、親と食事をしていても、ゲームや本、アウトドア」等々が「楽しい」とは感じられない、と。

私は、「楽しい」ではなく、嬉しいをお勧めします。

「楽しい」は、関西弁で言うところの、おもろい(面白い)に近いのではないでしょうか。お笑いだけではなく、遊んでおもろい、趣味がおもろいということです。それは、自分の心をくすぐったり、興奮させたり、時に爆発させたりしてワクワク、ドキドキへの感情に誘うものです。

しかし、嬉しいは違います。
例えば友達のふとした一言に、この人は私のことを考えてくれているんだなあ、と発見がある。心がじんわりと温かくなる。ほっとしたり、後でしみじみと思い返して大事にできる。そういう体験が嬉しいです。

勿論これは一例です。
ただ、こういった何かを求めていって、何かを得ていかなければ手に入らない「楽しい」よりも、既にあるものを大切にしていく、既に幸せってあるんだよと気が付かされて穏やかな心になれる。それが、嬉しいです。

そうやって、物事を違う視点で受け止め考えていけるようになると、落ち着いたものの見方で、やがて「楽しい」を捉え直せるのではないでしょうか。

「中二病」というレッテルなどかなぐり捨てて、もう成人でもなかなか気が付けないほどの精神的領域に入っていきましょう。

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浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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