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楽しさを見い出せません。

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有り難し有り難し 8

中学生になった頃から楽しさを見いだせなくなりました。しかし、それには特に理由がないのです。

友達と遊んでいても、親と食事をしていても、ゲームや本、アウトドアに至っても、試して見たけれど、周りが楽しいと感じる理由が分かりません。

小学生の頃の恐らく楽しかったであろう記憶を辿っても、何がどうしてどうやって面白かったかのかが分かりません。

別に面白いを追求している訳ではなく、ただ面白いと感じたいだけなのに、楽しみを見い出せません。

温度差を持って周りと接している自覚もありませんし、どちらかと言うと楽しいと感じたいとさえ思っています。

かと言って、無理やり楽しもうとしている訳でもありません。
こんな事を親に相談するも『中二病』の一言で片付けられてしまいました。

楽しみを見いだせないままかなりたった今では、周りをよく客観視してしまうようになりました。

友達に趣味を合わせ、うんうんと頷く友人。
カースト上位の女子によせた格好をする女子。

『ほっとけ』という話になるのでしょうが、周りと合わせて楽しいの?意味があるの?と思ってしまいます。

結論から言うと自分は周りに合わせても合わさなくても楽しいとという感情や他の何も感じられく、退屈でした。

こんな退屈が続くなら自分の前でちょっとした非日常が起こって『自分、死なないかな』なんて思ってしまいます。

それからという物、自分はあることに対してだけ、興味を抱くようになりました。
それは死でした。

死した後にはどうなるのだろう。
そんな疑問が四六時中頭の中をまわります。
が、人を殺める気も無ければ自殺する気もありません。

自分を殺せばそれは非日常では無くなってしまいますので……。

でも、自殺するなら高い所から落ちたいです。
親には『下にいる人にぶつかったら危ない』と言われたのでするつもりなんてありませんが。

こんな風に感じてしまうのは学生特有の中二病なのでしょうか?

2021年4月5日 1:29

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「楽しい」よりも、嬉しい

こんにちは。

私はあなたが「中二病」だとは思いません。
そんなレッテルは、そもそも必要ありません。

あなたは「楽しいとという感情や他の何も感じられく、退屈」と書いています。
「友達と遊んでいても、親と食事をしていても、ゲームや本、アウトドア」等々が「楽しい」とは感じられない、と。

私は、「楽しい」ではなく、嬉しいをお勧めします。

「楽しい」は、関西弁で言うところの、おもろい(面白い)に近いのではないでしょうか。お笑いだけではなく、遊んでおもろい、趣味がおもろいということです。それは、自分の心をくすぐったり、興奮させたり、時に爆発させたりしてワクワク、ドキドキへの感情に誘うものです。

しかし、嬉しいは違います。
例えば友達のふとした一言に、この人は私のことを考えてくれているんだなあ、と発見がある。心がじんわりと温かくなる。ほっとしたり、後でしみじみと思い返して大事にできる。そういう体験が嬉しいです。

勿論これは一例です。
ただ、こういった何かを求めていって、何かを得ていかなければ手に入らない「楽しい」よりも、既にあるものを大切にしていく、既に幸せってあるんだよと気が付かされて穏やかな心になれる。それが、嬉しいです。

そうやって、物事を違う視点で受け止め考えていけるようになると、落ち着いたものの見方で、やがて「楽しい」を捉え直せるのではないでしょうか。

「中二病」というレッテルなどかなぐり捨てて、もう成人でもなかなか気が付けないほどの精神的領域に入っていきましょう。

2021年4月5日 8:19
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有り難し
おきもち

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はじめて相談させていただきます。 私は東北の出身で、現在は東京で公務員の仕事をしています。 幼少期は母親にとにかく勉強し、エリートになるよう言われ、地元トップクラスの進学校に進学するもうつ病を患ってしまいました。また、母親は所謂ヒステリー持ちで、常に母親の表情を気にしていたせいか、今も周りの人の表情を気にする癖がついています。その母親はもう10年近く前に病気で他界したのですが、母親にかけられた「呪い」のようなものは未だ消えません。 社会人になってからもうつ病で働かない頭で必死に勉強し、ようやく憧れの職場に就職したのですが、ミスを頻発し再び心を病んでしまい休職に入ってしまいました。うつ病は現在も治療中ですが、よくなる兆しが見えません。 その間にも地元の友人達は結婚・出産と次々と人生の新しいステージに進み、恋人もいない私は置いていかれた気分になります。 ここまでまとまらない文章になってしまいましたが、結局何に悩んでいるのかと言うと人生に光が見えないことです。 何をしていても幸せを実感することができません。何かを達成しても常に一歩先にいる周りの人と比べてしまい、勝手に落ち込んでしまいます。恋人が欲しいと思うこともありますが、こんなうつ病持ちの男には無理だろうと半ば諦めています。 以前は趣味のゲームや読書を楽しんでいたのですが、そんな趣味も楽しめなくなりました。予定がない日は家で寝たきりになっています。 また、SNSでたくさんの方と楽しく交流をして私の心の支えとなっていたのですが、先日で何気ない一言が炎上してしまい、知らないたくさんの人に叩かれ心に大きな傷を負ってしまいました。 何をしても空回りな感じがします。なんで自分は幸せになれないんだろう?と毎日嘆いています。 もう死んでしまいたいと思いますが、そんな勇気もなく虚無感に包まれたまま生きています。しかし、このままただ歳だけを重ねていくのかと思うと絶望感に襲われます。 どうすれば人生に光を見出すことができるでしょうか? ここまで読んでいただきありがとうございます。

有り難し有り難し 7
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毎日が楽しくありません

わたしは人生が楽しくありません 現在30半ばを迎えようとしています わたしは過去にいろいろありすぎて 病気になり、ほとんど働けないし 病気で前向きになれない、やりたい事はたくさん制限されているけれど やるべき事、やらなければならない事だけは山積みです おそらく人生を捨てて、一生このままでいいやと開き直ってしまえばそういった課題にも向き合わなくて済むのかもしれません 実際20代の頃はそうやって生きてきた気がします でも、30を過ぎて、本当の自分の気持ちに正直に向き合ってみたら やはりこのまま人生が終わってしまうのは嫌だという気持ちが出てきています わたしがやらなければいけない事というのが 実際にはやりたい事に備えて、出来るだけ節約し、貯蓄とお金を増やす事 つまり病気や借金の返済、貯蓄の構築になるのですが これって毎日コツコツはあるけれど 毎日すごくやる事があるっていうわけじゃないと思うんです 今のわたしは時間だけを持て余し ただ時間が過ぎるのをボーッと待つだけです 友達も、恋人も、仲間も出来ません こんな感じの虚しさ、退屈な時間がもうずっと続いています 少し希望が見え、その希望に向かっていこうという気持ちは出てきたのですが いかんせん人生が充実しなさすぎて 生きてる実感がわかなすぎてつまらないのです 生きながら死んでいるような状態です これってどうしたらいいんですかね? 何かしたくても面倒という気持ちもあって、どうしたらいいのかわからないです

有り難し有り難し 8
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人生がつまらなく感じている

30代男性会社員、既婚子どもなしです。 タイトルの件について、なんとか解決の糸口を見つけたいと思い投稿させていただきました。 タイトル通りなのですが、ここ1〜2年で急激に人生がつまらなく感じています。 好きだった趣味もおっくうになり、人間関係についても昨年結婚を機にゆかりのない土地に異動し、気の許せる友人などもおりません。過去に楽しいと感じたものを試してみましたが、どれもつまらないというか虚無感を感じます。 仕事もうまくいっておらず、自身の思い描いていた理想とのギャップを感じています。 打破するために何か行動を起こさなければとも思うのですが、結局尻込み・面倒になり一人モヤモヤとすることがほとんどです。 この先もずっと同じような状況が続く気がしてならず、楽しみがない人生を続ける意味があるのかなと考えてしまいます。 死にたいとまではまだ思いませんが、この先楽しめることがなく面倒なことが増えていくのなら、死んでも構わないという気持ちが自分の中にあり葛藤しています。 この日常から抜け出したいと思っています。 どのようなことでも参考にさせていただきますので、アドバイスを頂けませんでしょうか。 思っていることを端的に書いたつもりですが、読みづらい文章となりすみません。 何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 13
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